史上初の日本人世界王座統一戦――94年12月、壮絶打ち合い“浪速のジョー”敗れる
2020年04月28日 05:30
格闘技
ファイトマネーの総額が国内では破格の3億4000万円。決戦のゴングまで、主役はあくまで辰吉だった。左目の網膜剥離で前年に返上した暫定王座。「特例」でリング復帰が認められ、正規王座として2度の防衛に成功していた薬師寺との統一戦が決まった。
当時の知名度、人気は、圧倒的に浪速のジョーが上。自身の世界初挑戦(91年)時、スパーリングパートナーを務めた薬師寺を子供扱いした格上意識もあり、決戦前に得意の舌戦を仕掛けた。
「僕とはレベルが違う」「あの年齢(26歳)で髪の毛、染めたらあかん」etc。常とう手段の“口撃”は想定内でも、正規王者が反撃したことで、場外戦は一気にヒートアップした。「(辰吉は)思い上がりちゃん」。しまいには、薬師寺陣営がドーピング疑惑を持ち出す陽動作戦。かつてない緊張感がリングを支配する中、戦いは始まった。
ただ、2人は拳という共通語を持つボクサーだった。超のつく一流ボクサーだった。因縁など忘れたかのように、薬師寺はジャブ、辰吉はスピードを生かしたハードパンチを繰り出していく。4回に薬師寺が右目の上、続いて辰吉も左目付近をカットし、後半は流血戦に。それほど凄惨(せいさん)な感じを与えなかったのは、両者の攻防がハイレベルで、12回終了まで動けるスタミナがあったからだ。判定は2―0で薬師寺の勝利。「薬師寺は強かった。(暴言を)わびたい」。勝者の強さと、敗者の潔さが大一番の価値をさらに上げた。
列島中を熱狂させたビッグマッチで、日本人同士による世界戦の潜在能力が再認識される。数年に一度だったのが、少しずつ数を増やし、06年には年間5試合を実施。団体数が増えたこともあり、興行に欠かせないコンテンツになった。話題性、注目度、因縁…。あまたの好試合は生まれても、この一戦のスケールは超えていない。=敬称略=