浜田剛史、189秒戴冠――1986年7月24日、両国国技館に舞った歓喜の座布団
2020年05月23日 05:30
格闘技
浜田はアルレドンドをロープ際に追い詰めると
強烈な右フックを顔面にヒットさせる。
相手の腰が落ちたのを逃さず
左、右、右、左の連打。
残り1秒
最後は右ストレート。
23歳の王者は大の字に倒れた。
世界王者不在だった
日本ボクシング界に
待望のニューヒーロー誕生。
1万人の観客は大興奮し
何百枚もの座布団が舞い上がり
リングに落ちた。
「勝つためには真っ向から打ち合うしかない。
3回までに全部スタミナを使おうと思った」
玉砕覚悟の戦法が衝撃の189秒KOを生んだ。
22戦目で世界初挑戦のサウスポーは
35勝33KOの王者を相手に前進を続け
得意の接近戦に持ち込んだ。
左拳を4度骨折し2度手術。
2年間のブランクも
不屈の闘志で困難を乗り越え
プロデビューから7年2カ月で
世界王座奪取。
だが、1年後
2度目の防衛戦でアルレドンドと再戦し
6回TKO負け。
王座から陥落した浜田は
その試合を最後にグローブをつるした。
≪両国国技館、初のボクシング興行≫会場となった両国国技館がオープンしたのは85年1月。ボクシング興行が行われたのは、この日が初めてだった。浜田はWBA世界フライ級王座を5度防衛した大場政夫以来、帝拳ジム2人目の世界王者だが、当時の紙面では相撲との不思議な“縁”も紹介されている。大場が現役世界王者のまま事故死したのは73年1月25日で、第53代横綱に推挙された琴桜の綱打ちの日。そして浜田の戴冠は琴桜と同じ不知火型の第60代横綱・双羽黒の綱打ちの日だった。経緯を知る帝拳の長野ハル・マネジャーは「きっと大場君が浜田君の後押しをしてくれたんでしょう」とコメントを残した。