ちあき哲也氏死去 とことん異端児を貫いた生涯
2015年05月22日 07:14
芸能
以後「ノラ」では女の愛の一人芝居を書き「かもめの街」は、渋谷道玄坂の上から見おろした夜明けの町を海に見立てて、あてどない女心をカモメに託した。
「吾亦紅」は、母を亡くした相棒の作曲家・杉本眞人を、慰めようと手渡したいわば私信。数年後に
「あの子が思い出したみたいに、曲をつけたのよ」
鼻下にうっすらとヒゲ、おねえ言葉でフッと笑うちあきが「あの子」と言うのは杉本のこと。やんちゃな言動の杉本と、ひ弱なちあきの組み合わせだが、妙に「あ・うん」の呼吸が合って「銀座のトンビ」「くぬぎ」「曙橋」など、隠れたいい作品が多い。
僕がちあき哲也に最後に会ったのは昨年の4月30日、USEN・昭和チャンネルの僕の番組で、5時間近く彼の作品を聴きながら話をした。肝臓がんと闘っていることは分かっていて、体調を気づかったが、彼は意を決してでもいるように、その半生と歌づくりのあれこれを語り尽くした。その後、所属事務所との契約も解消している。覚悟のうえの数カ月を過ごした気配が濃い。
ガラスみたいな繊細さ、品のいい隠花植物みたいな生き方と妖しい秀作を残して、ちあきはひっそりと逝った。とことん異端児を貫いた生涯である。
《あいつが作ったのは“ちあき哲也”というジャンルか…》
僕はそう鵜呑(うの)みにして、歌社会でたった一人僕を「良太郎さん!」と呼んだ友人を、粛々と見送ることにする。 (音楽評論家・小西良太郎)