猫ひろし支え続けた妻の存在「ここまで来れて良かったな」
2016年09月17日 10:00
芸能
芸人としての立ち位置を模索していた頃、自信のある走力を生かし、05年にTBS「オールスター感謝祭」の名物コーナー「赤坂ミニマラソン」に出場。ここで目覚ましい走りを見せたことでマラソン関連の仕事が舞い込むようになった。
この飛躍もあり、07年に恵子さんと結婚。子宝にも恵まれ、順風満帆に見えたが、猫は芸人の域を超えてマラソンにのめり込むようになった。その中でカンボジアのレースに参加したことがきっかけで、現地のオリンピック委員会からオファーを受けた。「芸人として、これやったら面白いんじゃないかったいうのが先にたちましたね」と前のめりだった猫に対し、恵子さんは「大丈夫なの?っては思いました。傷つく人とかはいないの?って。国籍変えて、カンボジア代表になるとしたら、落ちる人とか、争わなきゃいけない人はいるの?」と当初は不安もあったことを明かす。
一時は12年ロンドン五輪のの代表が内定したものの、各方面から批判を浴び、五輪切符も取り消された。この時35歳の猫は、もう五輪を諦めてもおかしくない年齢だったが、改めて4年後を目指す決断をした。
恵子さんも「バッシングされたりオリンピックだめになった時はこんなに嫌われているのかなと思ったんですけど」「夫が一生懸命、不器用だけど、一生懸命頑張ってる姿を、すごく好いてくれる人がいつもいて。夫もちょっとヘコむことがあっても、諦めることはなかったので、(再挑戦は)すごく自然に受け入れられました」とその決意を後押しした。
4年の努力が叶い、16年リオ五輪切符をついにつかむ。恵子さんは「ここまで来るとあっという間でした。みんなが応援してくれたから、ここまで来れて良かったなって」。結果は完走140人中139位だったものの、恵子さんが改めて夫にかけた言葉とは――。