映画「教誨師」で“魂の共演”光石研 大杉漣さんへの思い「使命、バトンを託された」
2018年09月14日 11:00
芸能
一癖も二癖もある死刑囚は、心を開かない無口な男・鈴木(古舘寛治)、年老いたお人好しのホームレス・進藤(五頭岳夫)、おしゃべりな関西出身の中年女性・野口(烏丸せつこ)、面会に来ない我が子を思い続ける気弱な父親・小川(小川登)、大量殺人を犯した自己中心的な若者・高宮(玉置玲央)。光石は気のいいヤクザの組長・吉田を演じる。時にユーモアを交えながら展開される魂のぶつかり合い。生きるとは何か、罪とは何かを問い掛ける骨太な人間ドラマが誕生した。
死刑に立ち会う刑務官を描き、小林薫(66)西島秀俊(47)、大杉さんも出演した映画「休暇」(監督門井肇、2008年公開)の脚本などを担当した佐向監督が今作のシナリオも執筆した。
大杉さんや光石ら名脇役が本人役で夢共演し、昨年1〜3月に放送されたテレビ東京「バイプレイヤーズ〜もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら〜」の撮影が2月に終わった後。春頃に大杉さんから直接「研ちゃん、夏ぐらいに映画を撮るから、出てよ」とオファーされた。まだ具体的に中身も決まっていない段階で「どんな役かも分からなかったですが、漣さんからのお話だったので『是非是非お願いします』」と即答した。
その後、次第に脚本が出来上がっていき、ヤクザの親分役に。映画にしては珍しくセットを組んだリハーサルも行い「『ここでアップを撮ります』『ここで何を撮ります』というように、細かくカット割をするんじゃなく、2人が対峙するその場の熱みたいなものを撮りたいんだという監督、漣さん、スタッフの方向性がリハーサルを通じてよく伝わりました」
教誨室を舞台に、全編を通じ、ほぼ1対1の対話劇。光石のパートは昨年8月、丸1日で撮影。「みんなで食事をするような控室みたいな場所にたまって支度をしている最中に、漣さんが『ちょっと(台本の)読み合わせ、いい?』と。そして読み合わせをしていると、今度は漣さんが『すぐカメラを回してもらおうか』と。僕も少し予想はしていたんですが『やっぱり、そう来たか』という感じはありました」
セッティングを変え、別角度から撮ることはあったが、テストは挟まず、ほぼ一発撮り。「演者も緊張するんですが、スタッフ側からすれば、いきなり控室から役者が2人来て、どう動いてもいいように準備が必要。そのフレキシブルさには驚かされました。だから、その日の効率もよく、テンションを保ったまま一気に撮っていきました」。演者とスタッフが集中力を高めた撮影は、何と当初の予定より5時間も早く終わった。
大杉さんとがっぷり四つに組んだ芝居は「それこそ『バイプレイヤーズ』の時に2人のシーンがいくつかありましたが、これほどは初めてじゃないですかね。今回はイスに座って面と向かい、パッと目が合った瞬間、何か根を張った巨木を前にしたような感じで。コメディータッチの『バイプレイヤーズ』の時とは全く違う眼差しだったので、僕もすぐに役に入り込めました」。大杉さんの存在感を改めて肌身に感じた。
大杉さんとの初共演は、関西テレビの深夜ドラマ「DRAMADAS『悶絶!電脳固め』」(監督水谷俊之、1990年、全5回)か映画「ひき逃げファミリー」(監督水谷俊之、92年公開)か別作品か記憶が定かでないが「当時、僕もサッカーチームを組んでいて、初共演の時にサッカーの話で盛り上がったことは覚えています。その後、漣さんのサッカーチーム『鰯クラブ』と対戦したり。僕なんか新しい現場に入ると、すぐには馴染めなかったりするタイプなんですが、漣さんはフレンドリーに近寄ってきてくださるんですよね」と意気投合した。
光石は高校在学中、映画「博多っ子純情」(監督曽根中生、78年公開)に主演してデビュー。大杉さんは74年に劇団「転形劇場」に入団し、88年の解散後に映像作品に本格進出。まだ30代前半だった大杉さんが老人役を演じ、高く評価された周防正行監督(61)のデビュー作「変態家族 兄貴の嫁さん」(84年公開)などで大杉さんを意識し始めた光石だが「当時、僕は仕事がなく、自分の心配ばかりだったので、いつか漣さんと共演してみたいというような大それたことは思っていなかったです。それが、これほどのお付き合いになるとは思ってもみませんでした」と感慨深げに語った。
約30年の親交になったが、今も脳裏によみがえるのは、まだ知り合って間もない頃の共演作の一コマ。「どの作品かはあいまいなんですが、公園でロケがあったんです。その時、子供たちがサッカーをしていて、衣装のまま、2人して仲間に入れてもらったんですね。最初はポンと軽く蹴るぐらいだったんですが、漣さんはサッカーとなると本当に夢中になりますから。子供相手に『逆サイドー!』とか叫びながら走り回って。衣装は汚れるわ、革靴はグチャグチャになるわで、監督やスタッフに2人で怒られたことはすごく覚えています」と笑みを浮かべながら懐かしそうに思い返した。意外や共演シーンはそれほど多くなく「今回ほど1対1で対峙した作品はないですから、格別に思い出に残ります。お声を掛けていただいて、本当にありがとうございますという気持ちです」と感謝した。
大杉さんの緻密な演技にも影響を受けたが「それ以上に、ある作品を作る時、いい作品にしようという同じ目標を持つ者同士、上も下もなく、右も左もなく、みんなで心一つにしていこうという漣さんのキャプテンシー。今回も、たぶん漣さんのポケットマネーだと思うんですが、ケータリングを入れてスタッフの士気を高めていました。漣さんのモノづくりへの姿勢は本当に尊敬しますし、僕も漣さんのように現場を引っ張れる存在になりたいと思います」
今後の俳優業については「たぶん演技に満足することはないので、今まで通り、頂いたお仕事に一生懸命、取り組むだけだと思います」と展望。そして「それは全然変わらないんですが、今回の佐向監督もそうですし、僕もそうですし、漣さんと関わったすべての人は、ある使命みたいなものを託されたと思うんです。漣さんは『そんなこと、託してないよ』とおっしゃるかもしれませんが、僕らはバトンを渡されたんじゃないでしょうか。それを、おなかの中にいつも忍ばせて大切にしていきたいと思っています」。大杉さんの思いを胸に、バイプレーヤーの道を極める。