「ノーサイド・ゲーム」廣瀬俊朗が役者顔負けの存在感「腹据わった」本物ラグビー選手の熱演にネット驚き
2019年08月04日 07:00
芸能
廣瀬が演じるのは、アストロズ不動のエース・浜畑譲。ポジションは密集からボールを最初に受け取り、攻撃の起点になるSO(スタンドオフ)。円熟味のある華麗なプレースタイルでチームを引っ張る。
リアリティーを追求し、アストロズの面々には本物のラグビー選手を起用。廣瀬は「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」「下町ロケット」「陸王」と池井戸原作の日曜劇場を演出した監督で、慶大の先輩・福澤氏から直接オファーされた。福澤監督もトヨタ自動車を破って慶大初のラグビー日本一(1985年度)に輝いたラガーマン。廣瀬は「福澤監督がこのドラマを作るにあたって、僕に声を掛けていただけたことは光栄に思っています」
第1話(7月7日)のラスト。アストロズの廃部さえ検討した君島GMが「サラリーマンに努力賞なんてものはないんだよ!この世界、正義が勝つんじゃない。勝った者が正義なんだ!勝者は喝采を浴びて、敗者は批判にさらされる。ラグビーだろうが、ビジネスだろうが、それは同じだろう」「ラグビーは君たちの誇りだろ!こんな卑屈なチームじゃ、監督なんて決められるわけもない。いいか、君たちは今、どん底だ。それをまず自覚しろ。そして、あとは上だけを見ろ」などと部員を鼓舞した。
最初は君島GMに反発していた浜畑も「あの野郎、ホンマ、好き放題言いやがって。けど、オレかて、そや。オレもリーグ残留なんかじゃ満足できへんねん。もう負けるのは嫌や。やってられるか!オレは、オレはこのチームで優勝したい」。大黒柱・浜畑の心からの叫びがチームを一つにした。初回クライマックスの廣瀬の芝居は鳥肌ものだった。
放送後の反響も大きく「やっぱりラグビー選手ではないと思われていることが多いです。『ラグビー、やっていたの?』という反応も多く、街中でも『ラグビーの廣瀬さんですよね?』ではなく『“ノーサイド・ゲーム”の浜畑さんですよね?』と声を掛けられることが格段に増えました」。その存在感から本物のラグビー選手とは思わなかった人も少なくなく、インターネット上にも「こんないい面構えの存在感ある役者さん、今までどこにいたの?と調べたら、廣瀬俊朗さん、本物のラグビー選手だとは。しかも日本代表!」「『ノーサイド・ゲーム』の浜畑さんがすごい良い味を出していて、演じている役者さん誰だって調べたら、本物のラグビー選手で俳優初挑戦と知って目ン玉飛び出るかと思った。本業俳優の人の風格だよ、あれは。信じられない、演技うますぎ」など驚きの声が上がっている。
廣瀬は「ラグビーを知らない方から声を掛けられることが増えました。この前も(神奈川県の)藤沢駅で高校生に声を掛けられて『ドラマ、すごくよかったです!ラグビーをやりたくなりました!』と言われたんです。ラグビーなんて見なかった人がドラマを見て『ラグビーをやりたくなった』と言ってくれる。また『このドラマを見て月曜から頑張ろう!』と言ってくれる。『ドラマを見て感動して泣いた。また頑張る!』というメッセージを送ってくれるのは、すごくうれしいですね。このドラマに感謝しています」と喜んだ。
演技経験は小学校の学芸会ぐらいで、今回がドラマ初出演。「ワクワクしていました」という一方「ただ、どういう過程を経てドラマが作られるのか全く分からなかったので、これからどんなことが待っているんだろう?と思っていました。ゴールデンウイーク前くらいから、みんなで集まってラグビーの練習とお芝居の練習を何度かさせてもらいましたが、自分がセリフをどれくらい言えるのか心配でしたし、皆さんに迷惑を掛けないかと不安もありました」と気掛かりもあった。
それでも「俳優がラグビーの練習をする」のではなく「ラグビー選手が演技の練習をする」という手法に「ジャイさん(福澤監督)が『これは新しいチャレンジだ』と仰っていて、僕自身もチャレンジが好きなので、そのアイデアにまず、やり甲斐を感じましたし、その中心を自分が担えることは光栄です。ラグビーという競技はトップでやってきた経験者と俳優さんではレベルの差を埋められるものではないので、今回、本物のラグビーを見せられる機会を与えていただけてよかったです」と意欲的。
「最初は感情を自然にボンッと出せるのですが、カメラの位置を変えて何度も撮影していく際に同じ感情が100%出せないのが悩みです」と芝居の難しさと同時に「仲間との関係性の中で、どう言った話し方をすれば良いのかを考えたり、また、相手の感情を受けて盛り上がっていくことも、おもしろいと思います」と醍醐味も感じている。
第1話冒頭、サイクロンズ戦の試合シーンは「実際の試合だと、僕のポジション(スタンドオフ)の選手がタックルする回数は平均15本なんですが、あの日は20本以上タックルしました。収録が終わった翌日は試合翌日と同じくらいの筋肉痛になりました。また、試合は80分間集中してすべてを出し切りますが、ドラマの収録はあるシーンの収録を全力でした後、15分くらい休憩し、その間にスタッフさんたちがカメラの位置などを変え、また同じシーンを全力でやる。その繰り返しなので、オンとオフの切り替えが続きます。それが数時間続くので、最近は慣れてきましたが、最初の頃は集中力を維持するのが大変でした」と苦労を吐露。
ただ「こういうところが僕がこのドラマに出させていただいている所以といいますか。『ラグビーのシーンは魅せなければいけない!』と僕だけじゃなく、アストロズのみんなが思っています。福澤監督からも最初に『そのためにおまえらを呼んでいるんだから、プロらしくやれよ』と言われたので、腹が据わったんだと思います」と振り返った。
今後の俳優業について尋ねると「あるんですかね?」と笑いながら「『絶対ない!』ということはないと思います。何かを演じるとか新しい世界に入るのはすごく光栄なことなので、もしかして、そのチャンスを頂けるのなら全力でやらせていただきます」と前向きな姿勢を示した。
「ドラマの中でも『1×15(人)=100』という表現がありましたが、ラグビー選手たちはそれぞれ体形も違うし、考え方も違うし、それぞれ個性があります。その個性が生かされるのがラグビーというスポーツです。例えば、大和航平役の北川勇次選手は話はあまり得意ではないんですが、ラグビーのシーンは体を張って前に行くとか、テツ(岸和田徹)役の(高橋)光臣(俳優、ラグビー経験者)や里村亮太役の佳久(創)(俳優、ラグビー経験者)みたいに、お芝居とラグビーの両方ができる者もいて、それぞれみんな違うんです。そういうみんなが自分の個性を生かして、このドラマに貢献できるというところがラグビーっぽいですね。そして、今回思うのは、僕たちは表舞台に立たせていただいているんですが、裏方のスタッフさんたちも皆さん、すごく頑張っていらっしゃる。夜中まで撮影して、びしょびしょだったスパイクが翌朝現場に行ったら、きれいに乾いていて。僕たちが帰った後、そのスパイクを乾かしてくれたスタッフさんがいるわけで、皆さんがそれぞれの持ち場で職務を全うされている。それはなかなか映像で伝わらないですが、知っていただけるとありがたいです」
◆廣瀬 俊朗(ひろせ・としあき)1981年(昭56)10月17日、大阪府吹田市生まれの37歳。5歳からラグビーを始め、大阪・北野高で高校日本代表に選出。2000年4月に慶大に進学し、4年次には主将を務めた。04年4月に東芝入りし、07年4月29日の香港戦(秩父宮)で初キャップを獲得した。15年W杯日本代表。東芝と日本代表で主将。15~16年シーズン限りで現役を引退し、17~18年シーズンから東芝でコーチ。今年2月、東芝からの退団が発表された。ポジションはSO/WTB。代表通算キャップ28。