安達祐実「才能ないなって絶望した」ワケ “天才子役”のイメージに苦しみ…
2020年01月26日 10:05
芸能
「そんな小さい頃から(子役を)やっていた自覚はない」と笑った安達。自分の仕事を意識するようになったのは小学校1年生の頃。「それまでは小さい役でドラマに出してもらっていたんだけど、主人公の娘役でたくさん出させてもらうドラマをやって、お父さん役だった俳優さんに『君はこれから女優さんになるんだよ』って言われて、『そうなんだ、私これから女優さんになるんだ』と思ったのがきっかけ。それからずっと『そうなんだな』って思い込んで、今いる」と安達。自分で女優を「一生やっていくかもな」と自覚したのは中学1年生だとし、「『家なき子』やった時でしたね」と振り返った。
幼い頃は母でタレントの安達有里(62)がマネジャーとして現場に同行していた時期も。安達は「ちょうど思春期の中学2、3年の時、マネジャーとしてちょっと付いてきてくれている時期があって。母は厳しい人だから、人として基本的なことは厳しく言われていたし、『仕事をする人間としてお金をもらっている以上はプロだからね』と子ども時からすごい言われていた。『熱があっても行け!お金もらってるんだから。現場で倒れろ!』みたいなこととか」と苦笑。とはいえ、「(母は)ステージママのイメージが強いけど、そういう感じでは全然なくて、現場に連れて行ったら『じゃあ、お茶飲んでくるね!』ってどっか行っちゃう。それはすごい楽でしたね」としつつも「親子なんだけど、なんかそこが愛情の出どころというか、商品として大事にされているか、子どもとして大切にされているのかがわからない時期はありましたね」と母との微妙な関係に悩んだことも明かした。
そんな母に救われたこともあった。「一時期、絶頂というか、すっごい忙しい時期からちょっと落ち着いてきたぐらいの時に、『もうこのまま消えていくんだ、私…』と悩んでいたら、(母から)『あんた今、死んだ魚の目してるから!そんな目してるやつ、誰も使いたくないから!』って言われて、『そうだな、確かにな』って思って。自分が変わっていかないと、この先ないなって気付かせてもらった。言葉だけ聞くと辛らつだけど、暗闇の中で光が見えた、みたいな言葉だった。生きていくすごい大きなヒントをもらった」と母に感謝した。
子役から女優への過渡期で苦しんだことも吐露。やはり「家なき子」のイメージから抜け出せないことに苦しんだ時期があり、「18、19歳の頃に舞台をやって。世間のイメージは子供のままなんだけど、実際に求められることは大人の俳優としてのお芝居で、ちょうど変換期にその舞台があった」と俳優・佐野史郎(64)との2人芝居「春」(2001年)の現場で感じた苦悩を告白。「私がまだ全然ダメなやつで、演出家の言ってることがまったくわからない、という状態に陥って…。才能ないなって絶望した時だった」を振り返った。