梓みちよさん急死、76歳 「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」が大ヒット マネージャーが自宅で発見
2020年02月04日 05:30
芸能
梓さんは1人暮らしだった。死因は心不全とみられるという。遺族の意思により、今月2日に近親者のみで葬儀が執り行われた。
最近はつえをつかないと歩行が困難なほど膝が悪く、病院で度々検診を受けていた。体調は良く、音楽関係者は「最近も“1曲出してヒットさせたいね”と話していた」と急逝に驚いた。梓さんは化粧品通販のレギュラー番組を持ち、プロデュースした保湿クリームなどが人気だった。
宝塚音楽学校を経て、1962年にシングル「ボッサ・ノバでキッス」でデビュー。翌63年、NHK「夢であいましょう」の今月の歌コーナーで発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞永六輔、作曲中村八大)がミリオンヒットとなった。
第1子が誕生した中村さんに永さんが贈った歌が「こんにちは…」。当初はパパ目線の歌詞だったが、梓さんが歌うのに合わせてママ目線になった。63年11月のレコード発売から約1カ月後に日本レコード大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に初出場。64年には学習院初等科の同窓会に招待され、昭和天皇の前で歌唱し、初の天覧歌謡曲にもなった。
梓さんの代表曲となった一方で、固定化された清純派のイメージに反発して歌わない時期もあった。しかし、米ロサンゼルスでのショーで披露した際、来場した日系2世の人々が泣いている姿を見て、02年の40周年記念コンサートから再び歌うようになった。
清純派のイメージを大きく転換させたのが74年の「二人でお酒を」。歌唱中に床に座り込み、あぐらをかいて歌う斬新なスタイルは梓さん自身が発案した。新たな女性像を描いた歌は話題となり、梓さんは同年の紅白に5年ぶりに返り咲いた。映画やドラマにも出演。71~78年にはテレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」の2代目アシスタントを務め、テレビタレントとしても活躍した。
◆梓 みちよ(あずさ・みちよ、本名林美千代=はやし・みちよ)1943年(昭18)6月4日生まれ、福岡県出身。60年に宝塚音楽学校へ入学。62年に歌手デビューし、紅白歌合戦には11回出場。「メランコリー」や「よろしかったら」などもヒット。64年に映画化された「こんにちは赤ちゃん」に主演した。