渡哲也さん 病魔とケガと己と闘い続けた俳優道
2020年08月15日 05:30
芸能
89年にはテレビ朝日のドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」のロケ中にヘリから飛び降りて左足腓腹(ひふく)筋を断裂し、全治1カ月半の重傷を負ったこともあった。だが「はってでも行く」と痛みを押して撮影を続けた。それも石原プロ社長としての責任感からだった。
その間にも病魔は忍び寄っていた。91年には直腸がんと闘うため自ら病名を公表。渡さんは嫌がっていたが、石原プロや家族のことを考慮して、涙ながらに人工肛門を取り付けることを承諾。その後、小児がんの撲滅キャンペーンイベントにも携わっていく。
石原裕次郎さんがタフガイなら渡さんは病魔との闘いで内面の強さを積み上げて行った。年輪を重ねるにつれて、それが幅広い役どころにつながっていた。
2004年には肺炎を患い、15年には急性心筋梗塞での緊急手術から復帰。肺気腫やぜんそくも弱音を吐かずに闘い続けた。そこには、仲間を支えるためにも絶対に負けないという男としての矜恃(きょうじ)があった。