「エール」小山田先生の手紙全文「今度は語り合いたい」吉田照幸監督が込めた志村けんさんへの思い
2020年11月26日 08:20
芸能
志村さんは朝ドラはもちろん、最初で最後のドラマ出演。裕一が幼き頃から憧れ続けた日本作曲界の重鎮・小山田を演じた。初登場の第25話(5月1日)から第79話まで10回登場。いずれも出番や台詞は多くないものの、その佇まいや眼力で圧倒的な存在感を示し、反響を呼び続けた。
小山田は裕一をコロンブスレコードに紹介。しかし、いざ裕一が「最高傑作かもしれない」と交響曲「反逆の詩」の譜面を持っていくと「で?」と目もくれず。“塩対応”を連発し、その真意が注目されていた。
裕一(窪田)は1964年(昭39)東京オリンピックの入場行進曲「オリンピック・マーチ」を完成。音(二階堂)と開会式を見守った。東京五輪以降も、裕一は池田(北村有起哉)とのコンビで数々の舞台音楽を手掛けたが、10年後、盟友が突然倒れ、天国に旅立つ。情熱を失った裕一は、第一線から退いていった。池田の死後から5年、音が乳がんを患い、裕一は最愛の妻の療養ため、東京を離れて静かな生活を送っていた。第119話は、ある日、作曲家を目指しているという広松寛治(松本大輝)という青年が裕一を訪ねてくる…という展開。
<※以下、ネタバレ有>
広松は「私は古山先生を小山田先生から続く日本の音楽の正当な後継者だと認識しています。日本の音楽を豊かにするには、今こそ先生の力が…」と裕一に語る。
裕一には13年前の記憶がよみがえる。
小山田耕三(志村さん)が亡くなる直前に裕一に宛てて書いた手紙を、秘書・猿橋(川島潤哉)が持って古山家を訪れる。
猿橋「亡くなられる3日前に書かれた手紙です。(小山田)先生は出すべきかどうか、迷われていました。今日(手紙を)持ってきたのは、私の判断です」
裕一「読ませていただきます」
小山田の手紙(裕一の声)「久しぶりだね。活躍、いつも拝見していました。映画も舞台もよく観に行きました。君の音楽に触れるにつれ、ようやく私は分かったことがある。私は音楽を愛していた。君は音楽から愛されていた。今思えば、それが悔しくて恐ろしくて、君を庶民の音楽に向かわせたのだろう。愚かだった。もし、あの時、嫉妬を乗り越え、応援していたら、君はクラシックの世界で才能を開花させていたはずだ。私は己のエゴのために、君という才能とともに愛する音楽を冒涜してしまったのだ。後悔の念はずっと付きまとい、私の心を蝕んだ。君がオリンピックの入場行進曲を書くと聞いた時、私は心の底からうれしかった。死ぬ間際で君の『オリンピック・マーチ』を聴いた。日本国民は誇らしく思っただろう。音楽の深淵を知る曲だ。期待に応えた君に、国民を代表して最大の賛辞を送りたい。ありがとう。最後に気が引けるが、どうか私を許してほしい。音楽を愛するがゆえの過ちだ。道は違えど、音楽を通して日本に勇気と希望を与えてきた同志として、今度は語り合いたい。私は先に逝く。こちらに来たら、声を掛けてくれ。小山田耕三」
猿橋「晩年は古山先生の歌をよく聴かれていました。和声の工夫やメロディーの独創性を、他の流行作曲家とは一味違うと、うれしそうに語っていらっしゃいました。どうか、先生をお許しください(頭を下げる)」
裕一「小山田先生の本(「作曲入門」)で、私は音楽を勉強してきました。感謝しかありません。天国でお話できるのが楽しみです(頭を下げる)」
猿橋「ありがとうございます。いつも(古山)先生の前ではしかめ面でしたが、笑顔は子どもみたいにチャーミングです(鏡に映る笑顔の志村さんの映像がインサート)」
裕一「音楽の話を一晩中語り尽くします。本当にありがとうございました(頭を下げる)」
猿橋「ありがとうございました(頭を下げる)」
第6弾まで制作・放送されたNHKのコント番組「となりのシムラ」や「志村けん in 探偵佐平 60歳」で志村さんとタッグを組み、最終週の脚本も手掛けた吉田監督は「文面に関しては、僕の思いです。僕も天国に行けたら、志村さんと笑いについて語り尽くしたい。その思いが如実に表れてしまいました」と志村さんへの思いを明かした。