「エール」“完結”豊橋の海ラストシーン秘話 窪田正孝&二階堂ふみ「野放し」夢オチ?「定義づけない」
2020年11月26日 08:20
芸能
裕一(窪田)は1964年(昭39)東京オリンピックの入場行進曲「オリンピック・マーチ」を完成。音(二階堂)と開会式を見守った。東京五輪以降も、裕一は池田(北村有起哉)とのコンビで数々の舞台音楽を手掛けたが、10年後、盟友が突然倒れ、天国に旅立つ。情熱を失った裕一は、第一線から退いていった。池田の死後から5年、音が乳がんを患い、裕一は最愛の妻の療養ため、東京を離れて静かな生活を送っていた。第119話は、ある日、作曲家を目指しているという広松寛治(松本大輝)という青年が裕一を訪ねてくる…という展開。
<※以下、ネタバレ有>
広松「なぜ、お元気なのに曲を書かれないのか、その謎を聞きに参りました」
裕一「君は楽器を使って作曲をしますか?私はね、子どもの頃に母に買ってもらった卓上ピアノ以外、楽器を使って作曲をしたことはないんです。歌詞や土地や人と出会って、そこから浮かんだものを譜面に書き込んできました」
広松「では、今はもう音楽は先生の中にはないと?」
裕一「いえ、毎日毎日あふれてきます。花を見ても海を見ても、妻との他愛ない会話の中でも、音楽は常にあります」
広松「では、それを譜面にしてください」
裕一「譜面にするのは、まどろっこしいんだ」
広松「でしたら、僕が採譜します。我々若い世代に正しい道をお示しください」
裕一「私はね、人の力になるための音楽を、たくさん作ってきました。だから…もう僕の中にある音楽を、僕だけで楽しみたいんだ。ダメかな。私の役目は終わったんだ。次は君たちが担ってくれ」
広松が帰った後、ベッドに横になっている音は歌を口ずさみ「海が見たい。あなたと出会った頃のように、歌を歌いたい」。裕一の音の体を起こし、寝室から窓辺に向かう。居間に足を踏み入れると、そこは豊橋の海。若返った2人は砂浜に駆け出す――。裕一が砂浜にあるオルガンを弾き、音が歌う。
裕一「音、会えてよかった。音に会えなかったら、僕の音楽なかった。出会ってくれて、ありがとね」
音「私も、あなたといられて幸せでした」
2人の夫婦道は完結。「エール」のカラフルなロゴが表示された。
ラストシーンは10月上旬に撮影し、一発撮り。吉田監督は「あの2人の関係性でしか生まれないものがあると思っていましたので、極力カメラを遠くに置いて野放しです。最後の台詞は寄りで撮りましたが、それ以外、2人が海に走り出した後はお任せで、何も演出はしていません。2人だけの世界にした、ということが演出と言えるかもしれません。あの夫婦らしく、同志という感じがにじみ出ていて、それが裕一と音なのか、窪田さんと二階堂さんなのか、もう分からなくなっていました。僕があまりに何も言わないので、二階堂さんが『大丈夫ですか?』と確認しに来たほどです」と振り返った。
2人が若返り、豊橋の海に戻ったのは夢なのか、死後の世界なのか、はたまた…。「2人も設定を知りたがっていましたが、そこを定義づけてしまうと、その演技になってしまうので『もう、そうじゃない。とにかく走っていってください』とお願いしました。言葉で物語を終えるのはある種、簡単だと思うんですが、2人の表情だけで物語を終えるのは受け手側の想像力がないと成立しません。制作者側が『この夫婦は、こういう夫婦でした』と結論づけてしまうと、物語の世界だけに収まってしまいます。2人の最後をご覧になった視聴者の皆さんが、それぞれに自分の人生を振り返るような時間にしたかったんです。だから、僕もいち観客として見ていました。スタッフも全員そうだったんじゃないでしょうか。演出の意図としては、とにかく定義づけたくない、2人の邪魔をせず、その場で起こることを撮りたいと思っていました」と明かした。