太田裕美 乳がん闘病語る「やらなきゃいけないことは、家でも仕事も。それがモチベーションに」
2021年02月15日 15:49
芸能
同年7月に内視鏡の手術を受けた。その後、8カ月に及ぶ抗がん剤治療は「もう2度とやりたくないです。初めての経験ですし、すごくきつかったので、今思うとよく頑張れたなって」と語った。味覚障害がひどく、「お水を飲むだけで苦いんです。何を食べても味がしない感じで」。さらに、料理も「味見をしても味が分からない。しょっちゅう、『いつもと同じ味?』って(家族に)聞いて」と、試行錯誤しながらだったと打ち明けた。
家事や仕事は、心の支えだったという。「やらなくちゃいけないことは家でもあるし、お仕事もある。それが精神的なモチベーションになった。副作用はいろいろあるけど、比較的軽くできたのかな」と話した。
抗がん剤治療を続けながらも、周年コンサートのステージには立ち続けた。中でも、大きな公演と抗がん剤治療が重なる時は、「先生にお願いして、『どうしても大きい仕事があるので、体に負担がない方がいいので、3週目で打つのを1週間空けてほしい』と」と治療を調整。抗がん剤の副作用が少なく、体が楽な状態で本番に臨めたといい、「それで何とか乗り切ることができました」と医師に感謝を口にした。
夫で音楽プロデューサーの福岡智彦氏(66)は、番組を通じて太田に手紙を用意。司会の黒柳徹子(87)が代読した。手紙では、福岡氏が太田の体をいたわって、代わりに食器洗いをしたところ、食器の置き方が気に入らず怒られたエピソードを紹介。「いつまでもダメ亭主ですみません。でもとりあえず、言いたい放題言える対象としての価値はあるよね?お互いそんなに長くはないだろうから、一緒にいるときはなるべく楽しく笑って過ごしたい。これからもよろしくね」と、福岡氏の人柄がにじみ出る文章だった。
太田は涙を流しながら「こんなわがままに好き放題やっているから、よく我慢して付き合ってくれてるなと思ってます。面と向かって言ってませんけど、感謝の気持ちを持っています」と夫への本音を口にした。
大病を患い、「歌えるうちに歌えるというのは幸せだと思えた」と実感があるという。昨年、「木綿のハンカチーフ」を手掛けた作曲家・筒美京平さんが死去。太田は「筒美京平先生も亡くなられてしまったので、先生への感謝も込めて、これからも大事に歌っていきたい」と決意を語った。