村上“ポンタ”秀一さん死去、70歳 日本を代表するドラムス、「イカ天」審査員としても活躍

2021年03月16日 05:30

芸能

村上“ポンタ”秀一さん死去、70歳 日本を代表するドラムス、「イカ天」審査員としても活躍
日本を代表するドラムスとして活躍した村上“ポンタ”秀一さん  Photo By 共同
 日本を代表するドラムスとして音楽界を支えた村上“ポンタ”秀一(むらかみ・ぽんた・しゅういち、本名村上秀一=むらかみ・しゅういち)さんが9日に視床出血のため、都内の病院で亡くなっていたことが15日、分かった。70歳。兵庫県出身。葬儀、告別式は親族で営んだ。喪主は遺族の意思で非公表。
 関係者によると、2月8日に自宅で倒れ、そのまま入院。以降、意識が戻ることは一度もなく、治療のかいなく今月9日、息を引き取ったという。

 バンド活動を経て1973年からスタジオミュージシャンに転身するとピンク・レディーや坂本龍一(69)、井上陽水(72)、松任谷由実(67)、沢田研二(72)ら、そうそうたるメンバーから引っ張りだこになった。

 参加したアルバムは1万枚以上。最も録音した年は2780セッション。関係者によると「携わったレコーディングは1万4000回以上」という。最盛期は1日5本以上の仕事を掛け持ち。ジャズピアニスト山下洋輔(79)の翌日にさだまさし(68)、その翌日に泉谷しげる(72)と、ジャンルを超えて重宝され、神格化されていった。

 信条は「ドラムは楽曲の香辛料」。歌詞を見て曲の世界をイメージし、楽器やチューニングを決める。多少のズレはお構いなしの、楽譜に縛られない味のある演奏は唯一無二。「俺のドラムは音符を叩くんじゃなくて歌なんだ」と公言し、ミュージシャンは「歌いやすい」と絶賛した。89~90年にはTBS「三宅裕司のいかすバンド天国」の審査員を務めるなどお茶の間にも親しまれた。

 酒を愛し、タバコを愛した。親しい知人によると、お気に入りはキューバ産の葉巻。一時、酒浸りになり音楽を離れた時期もあったというが、17年ごろに酒をやめ再び精力的な活動を始めた。関係者は「コロナ禍の前は、月30日中30日、ライブでドラムを叩くような生活だった」という。

 最後のライブは昨年3月27日、宮城県石巻市での公演。以降は肺炎の既往症があるためコロナ禍で自粛を徹底し、演奏からは離れていた。関係者は「最後に電話したのは1月下旬。“ワクチン早く打てるといいね。コロナ明けたら(音楽)やりましょう”と話していた。さぞ無念だったと思う」としのんだ。

 ▽視床出血 脳出血の一つで、脳の一部である視床からの出血を指す。高血圧や動脈硬化で50代から増えてくる高血圧性脳出血では、約15%が視床出血。部位としては大脳にある被殻出血に次いで2番目に多い。症状には、しびれ、まひ、感覚障害などがある。また、左右の目の位置がずれて、中央に寄ったり、両目が下を向いて動かなくなったりする。手術を行うが、後遺症として意識障害や半身まひなどが残ってしまう場合が多い。

 ◆村上“ポンタ”秀一(むらかみ・ぽんた・しゅういち、本名村上秀一=むらかみ・しゅういち)1951年(昭26)1月1日生まれ、兵庫県出身。中学時代に吹奏楽部で音楽を学び、指導に来ていた指揮者の故朝比奈隆さんに打楽器を薦められる。72年に上京し、ドラム歴わずか1週間ほどながらオーディションで見いだされ、フォークグループ「赤い鳥」に加入。93年には自身のバンド「PONTA BOX」を結成した。

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