「親父」柳葉敏郎 秋田で生きる 還暦迎えた“ギバちゃん”愛する家族と故郷で「そばにいる」
2021年04月18日 05:30
芸能
![「親父」柳葉敏郎 秋田で生きる 還暦迎えた“ギバちゃん”愛する家族と故郷で「そばにいる」](/entertainment/news/2021/04/18/jpeg/20210418s00041000086000p_view.webp)
「“この敷居をまたいで一回外に出るからには、どうなったら戻ってこられるか分かっているだろうな”という、とてつもない言葉をもらいました。自分で決めたことだから責任を持ってやっていけということで、その言葉のおかげでやってこられたのかな」
約4年後の83年、「劇男一世風靡」を結成し、「一世風靡セピア」で歌手デビュー。同時期にフジテレビ「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」でレギュラーを獲得。全国区の人気を得て故郷に錦を飾ったが、役者ではないという意識は常にあった。
「一方はお笑い、一方はシビアでクールという両翼のバランスを取って飛行できたありがたい経験でした。萩本欽一さんという全国津々浦々に響き渡っているお名前ですから、ばあちゃんも楽しんでくれてコンサートにも来てくれたけれど、役者で飯を食いたい、家族に安心してもらいたいという思いでした」
エンドロールに初めて単独でクレジットされた85年のフジテレビ「のぶ子マイウェイ」で「役者として認めてもらったという感覚があった」という。その後、トレンディードラマブームの一翼を担い、97年「踊る大捜査線」の室井慎次役と出合う。ドラマ、映画と15年続く人気シリーズとなり主演映画も製作される代表作となるが、役の幅を広げたいという思いもあり、初期の段階で殉職を願い出たこともあった。
「それをプロデューサーと脚本家が面白がっちゃって、本来描こうとしていたものではない室井が生まれちゃったらしいんです。結局それが功を奏しましたが、室井が思ったり感じたりすることは意外と的を射ていて、自分の考えに近いかもしれない。だから室井をやることで柳葉敏郎という人間を育ててもらったところはあります」
その間、長女の小学校入学を機に秋田にUターン。08年には長男も生まれた。
「人間関係や社会環境も含めて、ピュアな気持ちを持って生きていける人になってほしいという思いがありました。今年の冬は雪が凄かったけれど、それも雪は奇麗だけれど厳しいんだぞということを経験して大きくなってほしかった。雪下ろしも手伝ってくれますし、いろいろなものにつなげていけているんじゃないかと思います」
野球をしている長男は中学生になり、「最近球が速くなっちゃって、それを感じるのも幸せでね」と相好を崩す。
「ゲームつながりというのもあって、『あつまれ どうぶつの森』なんか最高ですよ。かみさんと3人で毎日やっていますから。あれはいいコミュニケーションが取れます」
還暦を迎えたが、まだまだ父親としての使命感がある。
「息子が社会人になるまではしっかり見届けてやらなければいけない。僕は小学校3年生の時に親父を亡くしているので、親父にしてもらいたかったことを子供たちにしてあげたい。それは僕にとってはそばにいてあげることなんです」
そのために仕事への意欲も衰え知らず。トレンディードラマをけん引した陣内孝則(62)ら旧知の仲間たちと、時間をおいて共演することも楽しみの一つだ。
「離れていた時間の中でどう過ごして何を感じて、そして再会した時にぶつかり合える。そのためにやっていると言っても過言ではないかもしれない。そういった素直な気持ちで言葉を交わせる人たちとこれからも会っていきたいですね」
熱っぽく語る目がさらに輝きを増した。
《吉永小百合と16年ぶり共演》柳葉が出演する映画「いのちの停車場」が5月21日に公開される。終末期医療の在り方を問う人間ドラマで、末期のすい臓がんを患い在宅で死を迎える元官僚という役どころ。「数シーンですが、心の動きで男の生きざまを表現させてもらえました。凄く純粋な優しい気持ちになって逝けた気がします」と満足げに振り返る。16年ぶりの共演だった主演の吉永小百合(76)ら周囲の存在も大きかったといい「結局は吉永さんのあったかい何かに包まれて終わっちゃっていましたね」と感謝した。
◆柳葉 敏郎(やなぎば・としろう)1961年(昭36)1月3日生まれ、秋田県出身の60歳。「劇男一世風靡」のメンバーとして路上パフォーマンスを繰り広げ話題に。86年「南へ走れ、海の道を!」で映画デビューし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。90年「さらば愛しのやくざ」でブルーリボン賞助演男優賞を獲得。地元・秋田の男鹿のなまはげをテーマにした20年「泣く子はいねぇが」では、なまはげ存続の会会長を演じた。