片岡秀太郎さん死去 79歳 歌舞伎の人間国宝、愛之助の養父

2021年05月28日 05:30

芸能

片岡秀太郎さん死去 79歳 歌舞伎の人間国宝、愛之助の養父
片岡秀太郎さん Photo By スポニチ
 上方歌舞伎を代表する女形として活躍した歌舞伎俳優で人間国宝の片岡秀太郎(かたおか・ひでたろう、本名彦人=よしひと)さんが23日午後0時55分、慢性閉塞性肺疾患のため大阪府吹田市の自宅で死去した。79歳。吹田市出身。葬儀・告別式は近親者で営まれた。お別れの会は未定。一般家庭に生まれた片岡愛之助(49)の養父となり、その才能を開花させたことでも知られていた。
 関係者によると、秀太郎さんは昨年夏から体調を崩すことが多くなっていた。同12月の京都・南座の吉例顔見世興行「熊谷陣屋」では、体調不良のため初日から5日間休演。その後、藤の方役で出演。これが最後の舞台となった。肺の持病があり、舞台後は入退院を繰り返していたという。

 休演の背景にはコロナの影響もあった。同11月、おいの片岡孝太郎(53)が陽性となり、同居していた片岡仁左衛門(77)が濃厚接触者に認定。そのため仁左衛門の代わりに舞台稽古を担当し「かなり疲れがたまっているように見えた」(関係者)という。コロナ禍で舞台中止も相次ぎ「気がめいる」ともこぼしていた。

 夫人によると、亡くなる直前まで舞台に立つことを目指していた。7月には大阪松竹座で「伊勢音頭恋寝刃」を予定。その準備を進めていた。松竹は同公演の代役を孝太郎が務めることを発表。病床では「上方の役者が少なくなった」と上方歌舞伎の将来を案じていた。

 1956年に二代目片岡秀太郎を襲名し、上方らしいはんなりとした雰囲気を体現できる女形として高い評価を得た。「封印切」の梅川など遊女から世話物の女房、老け役まで幅広い役柄を演じた。

 46年に5歳で初舞台を踏んだ。父は十三代目片岡仁左衛門さん(故人)。8人兄弟の次男として生まれ、兄の我當(86)、弟の仁左衛門とともに、上方歌舞伎の名門・松嶋屋を支えた。

 上方歌舞伎界の仲間が東京に居を移す中、かたくなに「上方」にこだわり続けた。その理由を昨年8月のスポニチ本紙の取材に「そこにいないと分からない匂い、言葉、物腰。それは大阪に住んでないとダメなんです」と明かしていた。

 私生活では73年に女優の高田美和(74)と結婚したが後に離婚。94年に再婚し、2女をもうけた。99年には自宅で就寝中にナイフを持った覆面強盗3人組に押し入られ、縛られて30万円を盗まれる被害に遭い、会見で「殺されるかと思った」と語っていた。また、愛之助が女優・藤原紀香(49)と16年に結婚した際、当初は全面的に賛成ではなかったものの、紀香の支えで役者として成長していく愛之助を見て認め、3ショット写真を公開するなど祝福した。

 上方から歌舞伎界を引っ張ってきた秀太郎さんは最期まで役者として生涯を全うした。

 《実弟・仁左衛門「理想通りの最期」》秀太郎さんの実弟で人間国宝の仁左衛門は「兄は当人の理想通りの最期を迎えられ、安らかに旅立ちましたことが私たちどものせめてもの救いでございます」と悼んだ。関西歌舞伎の不振で自身は1967年に東京へ移住。大阪に残った兄とはその後も数多く一緒に舞台に立ち、秀太郎さんの最後の舞台となった昨年12月の京都・南座公演でも共演していた。

 ◆片岡 秀太郎(かたおか・ひでたろう)本名・片岡彦人(よしひと)。1941年(昭16)9月13日生まれ、大阪府吹田市出身。46年に京都・南座で本名で初舞台。江戸歌舞伎とは異なる伝統を残そうと97年に「上方歌舞伎塾」を開塾、2014年にこども歌舞伎スクール「寺子屋」を開くなど後進育成にも尽力した。19年人間国宝。21年旭日小綬章。
【楽天】オススメアイテム
`; idoc.open(); idoc.write(innerHTML); idoc.close(); });