中村吉右衛門さん逝く 人間国宝77歳、先月28日 心不全 梨園屈指の立役 舞台復帰かなわず
2021年12月02日 05:30
芸能
最後の舞台は3月の「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の石川五右衛門役。舞台では異変は見受けられなかったが、関係者によると「倒れる数日前から体調を崩しており、舞台裏では様子がおかしかった」という。
かねて心肺機能に疾患を抱えていたとされ、吉右衛門さん自身が昨年12月に配信したデジタルマガジンでも「ある手術を受けた」と明かしており、別の親しい関係者は「体に想像以上の影響があったようです。大声を出すと息が上がったり、立ち上がるにも苦労すると話していた」と説明した。ヘルペスを発症したことにより、約7年前から味覚障害に苦しみ、ここ数年は舞台を休演することも多かった。
吉右衛門さんは初代松本白鸚さんの次男として生まれ、跡継ぎがいなかった母方の祖父・初代中村吉右衛門さんの養子となった。10歳のときに祖父が亡くなり、実家に戻り実兄の二代目松本白鸚(79)とともに芸を磨いた。
若い頃は体が細く、舞台映えがしないことや、声変わりが長引き声量が出ないことから、歌舞伎を続けるか悩んだ。それでも二代目の吉右衛門を継ぐという一心で、鏡を見ながら発声練習をするなど猛稽古を重ねた結果「張って良し、抑えて良し」と評されるほどのセリフ回しを会得。06年からは毎秋歌舞伎座で「秀山祭」を行い、初代吉右衛門の芸の継承にも力を入れた。中でも「俊寛」は繰り返し演じ、上演する時代ごとに解釈を深めていった。当たり役の弁慶も猛々(たけだけ)しさと慈愛に満ちあふれ、NHKでもドラマ化された。
後進指導も積極的に行い、松貫四(まつかんし)の筆名で脚本も手掛けるなど裏方としても支えた。深い人物造詣と巧みなセリフ術で常に観客を魅了。「歌舞伎界で最も技量を持った役者」と評価され、11年に人間国宝に認定。歌舞伎以外でもフジテレビの時代劇「鬼平犯科帳」シリーズで人気を博した。
昨年8月には人間国宝で初となるオンライン配信を行うなど、新しい潮流も貪欲に取り入れる姿勢を併せ持ち、歌舞伎界をリードする存在だった。80歳で人気演目「勧進帳」の弁慶を演じること、その舞台で孫の尾上丑之助(8)と共演することが目標だと公言していたが、その願いはかなわなかった。
◇中村 吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名波野辰次郎=なみの・たつじろう)1944年(昭19)5月22日生まれ、東京都出身。八代目松本幸四郎(のち初代松本白鸚)の次男として生まれ、母方の祖父・初代中村吉右衛門の養子になる。48年に初舞台。66年に二代目中村吉右衛門を襲名。17年に文化功労者。趣味は日本画と句作。1メートル78。