石黒賢 戦後初の日本人プロテニス選手だった父・修さんの他界後に見つけた意外な物「勝負に関しては…」
2022年07月11日 14:30
芸能
16年に修さんは腎盂(じんう)がんで他界。闘病中は病院への送り迎えも行い、ゆっくりと話すことができたとする石黒は、亡くなる前日にも修さんと対面。「死に目には会えなかったんですけど、ただまあ前日に兄と行けたから、ほっとしたのかなとは思いたいですね」としみじみと話した。
他界後、遺品を整理していると意外な物も見つかったという。「うちにいる時の感じとかを見ても、テニスの試合とかを見ても父は野性的な勘で、ひらめきでプレーをする人のようなイメージを勝手に私は抱いていたんですが、遺品を整理してたら、父は細かく対戦相手についての特徴とかプレーの傾向とか、こういうポイントの時にはこっちにサービスを打ってくるとか傾向と対策が事細かに書いてあったんですよ」と手帳が。「僕はびっくりして。兄貴も“へえー”って言ってましたし、もちろん母も驚いてました。そんなふうな感じは全くなかったですね」と続けた。
修さんについて「僕らが思ってるのは、負けず嫌いで、僕ら子供相手にでもそうで、私たちの子供、父からしたら孫相手のトランプでも本気でやりますし。そういう負けず嫌いな父でしたけど」としながらも「勝負に関してはそういうことをやってたんだなという」と感心した。
さらに石黒はデビュー前の幼少期にかつてNHKで放送されていた「お笑いオンステージ」内の人気コーナー「減点パパ」に修さんの息子として出演したが、修さんは番組のポスターと本を大切に残していたという。「それでまあよくこんなものを取っといてくれたなあと思ってびっくりしました」と語った。