森英恵さん死去 96歳、世界に羽ばたいたファッションデザイナー「マダム・バタフライ」現役のまま天国へ
2022年08月19日 05:30
芸能
関係者は「コロナ下で高齢のため事務所に出社することはなくなっていましたが、持病もなく、食事も進んでいました」と語る。最期まで若々しく、事務所関係者は「背筋もシャンと伸び、その姿でスタッフを引っぱってくれた」と感謝した。
戦後、専業主婦をしていたが、夫や子供のために洋裁学校に通い才能が開花。1951年に東京・新宿に洋裁店を開くと、映画衣装などの注文が殺到した。着物の伝統を取り入れた広い袖や帯から発想した太いベルトをあしらったドレスなどを得意とし、65年にニューヨークで初めて海外コレクションを開いて注目を集め、77年、パリのオートクチュール(高級注文服)組合に日本人として初めて加入を認められた。パイオニアとして道を開き、その後を追うように三宅一生さん、高田賢三さんといった才能が世界の表舞台で花開いた。
70年代から約30年間にわたり、パリで新作を発表。トレードマークの蝶は、海外進出に際し「日本の女性美の象徴」として考案。繊細なプリントや色鮮やかなスパンコールで生涯を通じて描いた。
オペラ「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」など舞台衣装でも活躍。美空ひばりさんの「不死鳥コンサート」の衣装や、93年の皇太子(現天皇陛下)ご成婚の雅子さまのローブデコルテをデザイン。88年紫綬褒章、96年に服飾デザイナーとして初の文化勲章を受けた。フランス政府からもレジオン・ドヌール勲章を授与された。
2002年にブランド「ハナエモリ」が100億円超の負債を抱え経営破綻も、その後は高級注文服のデザインに専念。04年のパリで開かれた引退ショーでは、スタンディングオベーションで迎えられた。
主婦として子供を育てながら世界に進出。ファッション界だけでなく戦後の日本女性の憧れや目標としてその背中を見せ続け、静かに旅立った。
◇森 英恵(もり・はなえ)1926年(大15)1月8日生まれ、島根県出身。東京女子大卒。戦争中に勤労動員で知り合った夫・賢さんと1948年に結婚。賢さんはのちに「ハナエモリ」会長として経営面で森さんを支えた。86年に経済同友会で初の女性会員に。06年、米誌「タイム」アジア版で「60年のアジアの英雄」の一人に選ばれた。