強烈な圧の取材で助けられた“鮎川弁” 最愛のシーナさんと天国でセッションを

2023年01月31日 05:30

芸能

強烈な圧の取材で助けられた“鮎川弁” 最愛のシーナさんと天国でセッションを
昨年11月に会った最後の鮎川誠さん Photo By スポニチ
 【悼む】最後に会ったのは昨年11月17日、場所は東京・中目黒にあるスタジオで、鮎川さんは50回目を迎える「ニューイヤー・ロックフェスティバル」の宣伝用撮影に参加していた。いつもと変わらずひょうひょうとしていた。お孫さんを連れ、その顔は好々爺(や)そのものだった。
 内田裕也さんが「打倒!紅白」を旗印に1973年に始めた年越しライブ。裕也さんはじめ、ジョー山中さん、力也さんらが次々と天国に旅立つ中で、最古参と言っていい筋金入りのミュージシャンだ。大みそかが近づくと取材をしたが、こわもてのロックンローラーたちから受ける強烈な圧の中、鮎川さんは潤滑油のような存在。筑後弁と北九州弁がミックスされた朴とつな“鮎川弁”にどれだけ助けられたか。感謝してもしきれない。

 新型コロナの感染拡大で20、21年と無観客での開催を余儀なくされたロックフェス。3年ぶりの有観客ライブに鮎川さんは「ロックを好きなやつはこのコンサートに物凄く思い出がある。“俺はいついつ行った”とか自慢したりしてね。50年を楽しみに、待っとってくれとるやろね」と黒眼鏡の奥の瞳を細めた。楽しみにしていた節目の50回開催。昨年12月21日に出演者が渋谷で行ったビラ配りも欠席し、大みそかに備えたが、出演はかなわなかった。

 最愛の妻で音楽のパートナーだったシーナさんが逝ったのは15年2月14日。同18日の通夜で「僕は、シーナがネジを巻いたら踊る人形やった。これからは自分で回さなきゃね…」と寂しそうに語っていたが、今ごろは天国でセッションしているに違いない。堺雅人と共演した映画「ジャージの二人」の父親役など、俳優としても忘れがたい。合掌。(文化社会部編集委員・佐藤 雅昭)
【楽天】オススメアイテム