室井滋 早大時代は様々なアルバイトを経験 超大物俳優の自宅を訪問「やったあー」も…
2023年05月30日 15:14
芸能
室井は早大に進学し、東京に暮らしていた時期で、司会の黒柳徹子が「でもあなたはお父様が亡くなってから、仕送りが来なくなっちゃった。その頃あなた、アルバイト100個ぐらいやったんだって」と話を振ると、室井は「100個。あの頃は全然。仕送りはそんなでしたけど、仕送りだけじゃ間に合わなかったりするので、アルバイトはパチンコ屋のサクラとか」と説明した。
サクラとは「新装オープンってなると、順番について、友達と2人で“ここすっごい出るらしいよー”とか、“また出たー”ってジャラジャラ出して。そういうアルバイトとか」といった内容だったとし、「あとはですね、表札売りのアルバイトしてたんですよ。プラスチックみたいな」と室井。
「これ、結構いいアルバイト賃になって。ある時、西村晃さんのお宅を訪ねちゃった」と「水戸黄門」で知られる97年に他界した俳優の西村晃さんの家に偶然行ったことも。「それで最初、(表札に)“西村”っていうのは出てたんです。で、下の名前まで書いてないから、こういうお宅は狙い目と思って入って行ったら、西村晃さんが出てらっしゃった」という。
ステテコのようなものをはいていたという西村さんに対し、「あっ、黄門様だ」と思ったという室井は「学生なんですけど、是非、これを買ってご家族様のお名前を出してそこに出してください」と必死の売り込み。西村さんは「僕ねえ、普段奥さんからお金をもらってないの」「妻に言っておくから、またいらっしゃい」と返したとした。
室井は「やったあーと思って。(後日、)友達とおめかしして行ったんですよ」と話したものの、「そしたら奥様出てらっしゃって。“聞いてますよ。ありがとう。ただ、うちはこういう商売してますから、下の名前まではね、出すといろいろ不都合なこともありますから、『西村』だけでいいのよ”って言われて。“そうですね。ありがとうございます”って言って帰って来ました」と苦笑した。
また黒柳が「文章を書くアルバイトっていうのは割が良かったんですって」と尋ねると、室井は「そんなことしてる間に女優の事務所にも入りましたんで、でも全然売れてなくって。でも仕事か来たらアルバイトを辞めなくちゃいけないじゃないですか。で家でできるアルバイトがないかなと思ってる時に、先輩から“ロケ弁の話を書いてくれない?”って言われて。コラムみたいなのを」と回顧。
すると、「なかなか上手に書けてるからって、こういうのやったらいいのにって言われて。えーっと思ったけど、アルバイト賃がすっごく良かったんです。2万円ぐらいもらったんですよ。だって2万円もらうには多分その当時3日とか4日働かないともらえなかったから。あっこれはいいわと思って大学の先輩とか出版社とかに勤めてる人に、“何でもいいから書かせてもらえないか”って言ったら、なんとなく少しずつアルバイトが増えて来て」。
その後、まとめて出版したのがエッセイ集「むかつくぜ!」だったとし、「これが、ウソのように売れたんですよ。100万部売れて、キャッシュカード入れても入れてもお金が出てくるんで、どうしていいか分かんないような。女優としては全然ダメだったので、でもあれも(作家志望だった)父が後ろからそういうふうに導いてくれ…。全然そんなつもりなんかなかったですし」としみじみと話した。