青芝フック「漫画トリオ」で受けた衝撃 横山パンチは「ツッコミの天才」 彼がいたから成り立った
2023年06月03日 04:50
芸能
2代目横山フック(当時)として、故横山ノックさんや上岡さんの誘いで1963年にトリオに加入。当時、横山パンチの芸名だった4歳年下の上岡さんに「こいつは天才やな」と衝撃を受けていた。言葉のセンスがあって、タイミングも抜群。「彼以上のツッコミができる人を僕は知らない」と断言する。
トリオはノックさんの天才的なボケで人気を集めていたが「ツッコミの天才がいてこそ成り立つものだった」と回想。「俺は天才だ」と言い放っていた上岡さんこそがその適任で、爆発的な笑いを生んだ原動力と感じていたことを打ち明けた。
当時、横にいて感じていた上岡さんとノックさんの関係性については「人間的な相性が凄く良かった」と振り返る。「今頃は天国で再会しているはず。ノックさんが“ちょっと早すぎるんちゃう?”って言う横で上岡さんが辛口で“早くフックちゃんもおいで”って言ってるような気がするなあ」と寂しげだった。
≪「パンパカパーン」「今週のハイライト」≫
横山ノックさんに誘われ、上岡さんは「横山パンチ」を名乗り、横山フックさん(初代)を加えて1960年に「漫画トリオ」を結成した。フックさんは63年に離脱、後の青芝フックを2代目に迎えた。「山の字を書け。最初にちょっと小さい山があって、真ん中の大きい山があって、また最後にちょっと山があって、そこですとんと終わる」とネタ作りの極意をノックさんが教えてくれたと上岡さんは明かしている。
「パンパカパーン パンパンパ パンパカパーン」「今週のハイライト」で始まる斬新なステージ。時事ネタを盛り込んだ、しゃべくり漫才は大好評。結成当時は吉本興業に所属していたが、別に個人事務所の京都芸能プロダクションを設立し、スケジュールをやりくりして東京に進出。多忙のためネタ作りにも難儀する日が続いたが、そんな頃に政治家への転身を狙っていたノックさんが参院選出馬を決意。68年にトリオは活動停止した。