キダ・タロー ゴルフ再戦の約束実現せず「体調が悪かったんやな。知らんかった」
2023年06月03日 05:30
芸能
キダ氏は同番組の最高顧問として長く上岡局長を支えた。94年4月の同番組収録中に上岡さんが途中退出した事件についても「彼は呪術的(オカルト)な事に異様なぐらいに憎悪を示しました。昔、(上岡さんの)家族の方が、がんに侵され、呪術師に翻弄されて苦しんだのが原因だと聞いたことがあります。途中退場もオカルトの扱いが原因でした。私も現場に居合わせたんですが、彼のあまりの思いに何もできませんでした」と語った。
キダさんが持っていた上岡さんの印象は「『上岡龍太郎』という頑固で冷静な鎧をまとい、内心を見せない男」だったが、その鎧の下をポロリと見せたことがあった。上岡さんが東京進出したばかりの頃、フジテレビで会った際にキダ氏が「上岡さん、東京嫌いやったんちゃうの?」と聞くと、上岡さんがニタ~っと笑ったそうで「実に人の善い笑顔を見せました。鎧の下ですね」。また、石原裕次郎の曲ばかりを歌うコンサートでは「こぶしをまわして」と歌唱指導した話も明かした。
プレイベートでの上岡さんとの付き合いはゴルフが主だった。上岡さんが引退後、01、02年と同番組のゴルフコンペで一緒になり、2代目局長に就任した西田敏行(75)とラウンドしたそうで「ダブル局長やな、と言ってました」と明かした。その後も、たまにメールのやりとりをして、近況報告。新型コロナウイルスの感染が拡大する前の18年頃にゴルフの約束をしていたが、雨で中止となり「また、別の日に」と持ち越しとなったが、再戦は実現しなかった。