尾上松也 苦節の下積み時代にスタジオ驚き アンタ山崎「苦労を知らないんだろうなと…すみませんでした」

2023年06月14日 15:14

芸能

尾上松也 苦節の下積み時代にスタジオ驚き アンタ山崎「苦労を知らないんだろうなと…すみませんでした」
尾上松也 Photo By スポニチ
 歌舞伎俳優の尾上松也(38)が13日放送のテレビ朝日「証言者バラエティ アンタウォッチマン!」(火曜後11・45)にゲスト出演。苦労が続いた下積み時代を語った。
 1985年、六代目・尾上松助の長男として誕生。5歳で二代目・尾上松也として歌舞伎の初舞台を踏んだ。天才子役と呼ばれ、将来を嘱望されていたが、高校卒業後、20歳の時に父・松助が死去。大黒柱を失い、20歳の若さで一門を背負うことになった。

 「今までいた父がいなくなるのは自分の中では大きかった。他にもたくさんお家柄のある方たちがいらっしゃいますから、自分の家柄では到底太刀打ちできないのは明らか。自分がなんとかしなきゃいけない、このままではいけないという感覚はありました」という。

 「お弟子さんたちは全員僕より年上。まだ20歳でお弟子さんに師匠として教えてあげられることなんて全然ない。教えてもらいたいくらいで。言いました。“ごめんなさい、教えられないので、歌舞伎をもっと突き詰めたいなら違う所に移って”と。そう言われても仕方がない状況。選択してくださいと。でもみんながそこでついて行きますと言ってくださったので良かった」と弟子たちに感謝を述べた。

 父が廃業し、松也と同じように後ろ盾がなかったため歌舞伎界で苦労した中村獅童もVTR出演し「僕と同じような境遇であるけど、師匠であるお父様を亡くして大変だろうなという思いで見ていました。自分が出し物させて頂く時は声をかけさせていただいて。微力ながらもお役に立てればなという思いだった」と回想。

 獅童曰く歌舞伎界で、父がいないことで一番大変なのは「役がつかない」ことだという。「出し物をやるような父親だと息子もいい役というか。みんながみんなではないけれど、大体そういうもの。父親がいると約束されていて、次はそのお役を息子がやると」。大役を得るためには家柄や父の存在が大きく影響すると証言した。

 そんな中、2009年に松也は歌舞伎自主公演開催という大きな一歩を踏み出した。自主公演で人気が出れば、大役に近づけると考えたからだ。しかし、当時は無名で集客には相当苦労したといい「最初の自主公演はお客さんは会場全体の半分以下。自分が置かれている状況を痛烈に感じた瞬間でした。その状況はしばらく続いて、5年目くらいまではそんな状況でした」と振り返った。

 MCの「アンタッチャブル」山崎弘也は「今まで順調に来た人だと思って絡んでて、すみませんでした。苦労を知らないんだろうなと思ってたから…」と苦笑しながら詫びた。
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