生島ヒロシ「10年目過ぎたくらいから」フリー転身後のどん底 支えになった言葉“雨天の友”

2023年06月15日 13:53

芸能

生島ヒロシ「10年目過ぎたくらいから」フリー転身後のどん底 支えになった言葉“雨天の友”
生島ヒロシ Photo By スポニチ
 フリーアナウンサー生島ヒロシ(72)が、15日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)に出演。TBSを退社し、独立してからの苦悩を語った。
 生島は1989年にTBSを退社、独立し生島企画室を立ち上げた。「TBSに入った時に“日本の終身雇用制度終わります。僕はTBSに入ったとしても独立しますから”って採用が決まってないのに言ったんですよ」と入社前から独立する意思はあったという。

 TBS入社後、実際に辞めるか辞めないか迷っていたが「かみさんが“敵が100万いようとも私があなたの味方よ”って言ってくれて、その一言で独立を決めて、平成元年4月1日、消費税導入とともに独立しました」と夫人の後押しもあり、独立を決意した。

 独立後は「辞めたら辞めたで大変でしたけど、収入は増えたんですが、その分フリーって成績が良ければ、視聴率が良ければ続きますけど、下がっちゃったりすると“はい、ご苦労さまでした”って何度もそういう目にあってますから」と視聴率の低下などで、番組の打ち切りを何度も経験したと回想。「テレビの仕事もフリーになって順風満帆にいってたんですけど、10年目過ぎたくらいからかげりが見えてきて」と当時を振り返り「そこで古巣のラジオ局が声をかけてくれて、朝の番組が今25年目に入るんです」とTBSラジオ「おはよう定食」や「おはよう一直線」はその頃に始まった番組と語った。

 生島は「ラジオで朝早い時間だったので“うわー”って思いましたけど、冷静になって大変な時ほど声をかけてくれてありがたいなって思って」と出演を決意。「局に務めてた時にプロデューサーが“晴天の友となるなかれ、雨天の友となれ”って。“天気が良いときは皆、フリーになって調子が良いと皆、寄ってくるよと。だけどね、天気が悪くなると皆、寄って来なくなっちゃうから、雨が降ってどうしようもない時にどれだけ周りにいて支えてくれるか、それが真の友だよ”と言われたのがすごい心にしみましたね」と感謝した。

 独立後を振り返り「はいつくばって、仕事があるのがありがたい。何があっても皆を食わしていかないといけないし、何があってもやりましょうって本当の意味で腹をくくったのがどん底に落ちた時ですね。フリーは不安定ですから、いつも勝負してましたけど本当に落ちた時にどうするかですね」としみじじみと語った。
【楽天】オススメアイテム