映画界の巨匠・中島貞夫監督の悲報に名優ら追悼続々 岩下志麻「温かな監督さん」北大路「凄まじい魂を…」

2023年06月15日 15:44

芸能

映画界の巨匠・中島貞夫監督の悲報に名優ら追悼続々 岩下志麻「温かな監督さん」北大路「凄まじい魂を…」
中島貞夫監督(97年撮影) Photo By スポニチ
 「木枯し紋次郎」などの時代劇、「日本の首領(ドン)」シリーズなどのヤクザ映画など数多くの作品を手がけた映画監督の中島貞夫さんが11日に死去したことが分かった。88歳。千葉県出身。葬儀は近親者で執り行われた。映画界の巨匠の悲報を受け俳優や東映社長が追悼した。
 岩下志麻(82)は「中島貞夫監督の突然の御訃報に心よりお悔やみ申し上げます。中島監督とは、テレビ、映画で大変御世話になりまして、心より感謝致しております」と追悼し「いつも優しく、あまりおこったお姿を拝見したことがない、温かな監督さんでした。ありがとうございました。心から御冥福を御祈り申し上げます」と巨匠との別れを惜しんだ。

 北大路欣也(80)は「中島監督作品『暴動島根刑務所』、『犬笛』に出演させていただきました。撮影現場では、映画づくりの凄まじい魂をぶつけられました。今もその波動は消えていません。感謝の想いで 合掌」と感謝の思いをつづった。

 名取裕子(65)は「中島貞夫監督は『序の舞』、『春日局』、と言った文学作品の中で男性社会の壁を破ろうとする芯の強い女性をフィルムに残してくださいました。博識でどんな質問にも澱みなくお答えくださり映画にかける情熱が80歳を超えても燃えている映画監督でした。監督と出会えたことに感謝いたします。天国でもあのキラキラした眼差しで皆を見守ってください。合掌」と思い出を振り返りながら、旅立った中島監督を偲んだ。

 東映の吉村文雄社長は「この度は中島貞夫監督のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。中島監督は、1959年に当社入社後、当社の代表作となる劇映画、またテレビ映画を数多く制作されました。まさに東映の一時代を支えてくださった監督でした。さらに中島監督は監督業だけでなく大阪芸術大学や立命館大学でも長らく教鞭をとられ、その教室からは熊切和嘉監督、山下敦弘監督、呉美保監督、石井裕也監督など数々の才能を輩出し、邦画界に新しい息吹を与えてくださいました」と映画、邦画界における中島監督の功績を振り返り、感謝の思いを記し、「個人的には関西で勤務していた1990年代に、エキスポランドのお化け屋敷の監修で中島監督にお世話になった思い出があります。日本を代表する偉大な監督を失ったことは大きな悲しみではありますが、日本映画界に素晴らしい財産を残してくださったことを深く感謝するとともに、衷心からご冥福をお祈り申し上げます。東映㈱代表取締役社長 吉村文雄」と個人との思い出を懐かしみながら、中島監督の死を悼んだ。

 高良健吾(35)は「中島貞夫監督の現場に立てた事。中島監督の生き様、姿勢に触れることができた事。中島監督と過ごした時間は大切な思い出です。中島さんがご自宅で手料理を振る舞ってくれた事がありました。今まで中島さんが親交のあった錚々たる俳優の方々も中島さんのご自宅によく集まっていたと聞いていたので、自分もその一員になれた気がしました。そこでは、中島さんの歴史、東映の歴史の話をしていただきましたが、当時の映画の現場の熱量を体験してるのかと錯覚するくらい中島さんの話は知的で面白い。楽しい。中島さんからは、こうらちゃんと呼ばれていました。毎回、呼ばれるたびに嬉しかった。たまに文ちゃんと呼び間違える事があったのですが、文ちゃんは菅原文太さんの呼び名です。その呼び間違えさえも、光栄で嬉しかった。中島さんの現場での言葉の重みはとにかく深くて。シンプルで。一言の演出が、役を深くしていく経験は初めてでした。中島さんの映画に向き合う力を近くで感じる事ができた僕は幸せです。中島さんと過ごした時間、残してきたものは忘れません。大切にします。今日も中島さんから頂いた椅子に座ってタバコを吸っています。中島さん。ゆっくりしてくださいね。ありがとうございました」と深い思いを、天国の恩師に捧げた。
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