福澤朗 徳光和夫とラジオで声そろえ「ズームイン!!」 3代目司会は「非常に荷が重かった」
2023年06月17日 16:59
芸能
ポーズの決め方が「代々違うんですよ」と意外な裏話も明かし、徳光は「指がね。俺はシュートみたいな、福澤君はカーブのような感じ。トメさん(福留功男アナ)が一番いい加減にやってた。覚えてないんだよね、指が短いから」とジョークを飛ばし、福澤は「未だに笑点の大喜利みたいな丁々発止があるんですね!」と大爆笑した。
「ズームイン!!朝!」は1979年から88年まで徳光が初代総合司会を担当。福留功男アナウンサーが2代目、1998年から福澤が3代目司会に抜てきされた。福澤は「当時、初代からやってるプロデューサーとか先輩ディレクターが、徳さんだったらこうやってたよ、トメさんだったらこうやってたって比較として出される。トメさんって完璧にやられる方、徳さんはその対照的で。僕はどっち側のスタンスでやればいいのかっていっつも迷いながらやってました。非常に3代目は荷が重かったです」と明かした。
徳光は「手前味噌になりますけど、僕はキャッチャー役だった。各局の皆さんから題材を受けて、渡して。徳光には事前に各局のネタを話すなと。そうじゃないと真剣にならないって言われててね」と苦笑しながら「トメさんは自ら現場に出ていった。ある意味ピッチャーだった」と懐かしんだ。
さらに「視聴率的に言うと僕は2・4%から始まって16%くらいまでいって。13%くらいの平均視聴率でトメさんに渡すんですよ。日本テレビが当時勢いがあったじゃないですか。野球だけじゃない日本テレビになって。で、20%くらいまでいったんだけどそうなるとちょっと下降線をたどるようになる。下降線をたどってきた時に福澤君が受けてくれて。一番大変な時期だったと思う。みんなあの時は視聴率のこと言ってたしな」と福澤の心中を慮った。
福澤も「一番大変でしたね。番組の内容も、フジテレビの朝の番組がものすごい頭角を表していて。向こうは芸能ニュースとかを普通に扱うんですよ。ズームって基本的に扱わなかったじゃないですか。僕らも芸能ニュースやんなきゃいけないんじゃないかっていう試行錯誤しながら常に迷い続けた数年間だった」と看板アナウンサーの後を受けた重圧を吐露。「トメさんが番組を整えたので、それをなんとかして崩そうということで試行錯誤した時代だった」と語った。「若いくせに相当偉そうだなって思われてたと思いますよ。こうした方がいいんじゃないですか、こっちの方が面白いですよとか平気で言ってたんで。反骨精神?あったかもしれないですね。大学を2年留年してマスコミ入ったんで、肩に力が入ってたところもあったと思います。演劇活動で6年かけて卒業したので、同期もある種ライバルというか」と懐かしんだ。
徳光は「初めて聞いたけど、その2年間が福澤を作ったんだね。銀行マンみたいな真面目な感じじゃないなとは思ってた。真面目なんだけどロックなんだよ、福澤は」とうなずいていた。