中野章三 「座タップダンス」で軽やかな毎日「元気で踊り続けていたい」

2023年06月23日 05:00

芸能

中野章三 「座タップダンス」で軽やかな毎日「元気で踊り続けていたい」
「座タップダンス」をカメラに向かって披露する中野章三(撮影・沢田 明徳) Photo By スポニチ
 【だから元気!】著名人に健康や元気の秘訣(ひけつ)を語ってもらう企画「だから元気!」。今回は現役最高齢のタップダンサーで兄弟デュオ「中野ブラザーズ」の中野章三さん(86)です。膝や腰に負担をかけないように椅子に座って実践する「座タップダンス健康法」を提唱。健やかな毎日にステップも軽やかです。(構成・佐藤 雅昭)
 座タップが健康法として注目されるのはうれしいですね。自分でも実践してますし、一日中でも教えていられます。手も使えますしね。「運動器の健康・日本協会」という公益財団法人から4月に奨励賞を贈られました。

 「転倒防止」「肩こり腰痛改善」「冷え症改善」「代謝促進」、そして「メンタル向上」などに効果ありと認めていただいた。どんなステップにしようかと考えるから脳の活性化にもつながり「認知症予防」にも役立つ。表彰状なんて、小学3年の時に体操でもらって以来ですよ。

 5月に受けた健康診断でもどっこも悪いとこなし。肝臓や腎臓…内臓もいたって丈夫。お医者さんは注射一本打ってくれません。戦後の何もない時に育ってますから何でも食べますしね。腹は六分目にして、外食はせずに基本的に家で食べるようにしています。野菜も肉も好きですよ。

 子供の頃から結核予防のBCGとかを打ったことが一度もないんです。コロナのワクチンも打ってません。ずっと平気だったのに、今さら注射して具合が悪くなるとイヤだな、と思いましてね。

 父はぜんそく持ちでしたが、丈夫なのは母親譲りかもしれません。17歳の時に台湾からやってきて、47歳の父と結婚。うちは大衆演劇一家で8人家族。母は1日3回舞台に立ちながら子供を6人産んで育て上げた。僕は末っ子で父が60歳、母が30歳の時の子。母は一度も入院したことがなく、89年の天寿を全う。米寿のお祝いをした翌年、昼食後に昼寝したまま苦しむことなく逝っちゃいました。

 2歳上の兄・啓介は2010年に75歳で亡くなりましたが、「中野ブラザーズ」の名前はそのままに舞台に立ち続けています。1947年に京都で吉田武雄先生にタップの手ほどきを受けたのが最初。昨年11月に池袋の東京芸術劇場で75周年公演を開催しました。

 大事にしているシューズがあります。「テネシー・ワルツ」などで知られる歌手・江利チエミさんに請われて56年から彼女のステージに立ち、ショーは僕が振り付けを担当した。チエミさんは毎年ゴールデンウイークは日劇、11月は新宿コマ劇場で公演。亡くなる前年の81年まで続けていました。この靴はそんなさなかの77年、中野ブラザーズの30周年を記念して新橋にあった靴店に特別に作ってもらったものです。

 当時はキャバレー出演も多く、とにかくステージが滑る。それで靴店のおじさんと研究して底に滑り止めのゴムを付けてもらった。人間だったら注射を打ったりもするでしょうが、この靴は丈夫で、どこも直してません。今では米国の靴も全て滑り止めを付けている。特許を取っておけば良かったと悔やまれます(笑い)。

 ぼくはチエミさん、美空ひばりさん、雪村いづみさん(86)の「三人娘」と同じ昭和12年のうし年生まれ。イヤだと絶対に動かない「こって牛」です。兄は10年のいのしし年生まれで鼻息が荒かった。中野ブラザーズが80周年を迎える年はちょうど90歳。そこを目標にしているわけではないですが、元気で踊り続けていたいものです。


 ≪毎週日曜レッスン開催 松島トモ子らが教え子≫1953年に京都から東京に出てきてからは自己流で研さんを重ねた章三さん。「ジーン・ケリーやフレッド・アステアが僕らの先生です」と、米国のミュージカル映画を見て学んだ。座タップも、椅子に座ってテレビを見ながら足を動かしていたことが原点だ。

 松島トモ子(77)、天宮良(61)ら教え子は多い。「少年隊の3人にも基本を教えました」と明かす。現在は毎週日曜日に都内でレッスン。コロナ禍のため介護施設などへの慰問も難しくなったが、その代わりに10人を超える教え子たちが出張講師として出向く。取材当日も恵比寿のスタジオで熱の入った指導を繰り広げた。


 ◇中野 章三(なかの・しょうぞう)1937年(昭12)2月8日生まれ、東京都出身の86歳。浅草の女剣劇役者・中野弘子率いる「中野チンピラ劇団」に入団し、3歳で舞台デビュー。フレッド・アステアの映画に魅了され、兄の啓介さんと47年から京都でタップを修業。中野ブラザーズを名乗って53年に上京し、米軍キャンプなどを回る。59年には日本人初となる1年間の米ラスベガス公演も成功させる。その後、福岡で長く指導を続け、16年に帰京。

この記事のフォト

【楽天】オススメアイテム