「野球の神様」ベーブ・ルース “絶頂期”の年収は米大統領より多かった 年俸交渉でコイントス提案も
2023年08月07日 21:30
芸能
ルースは、19歳だった1914年に地元のマイナーリーグのボルチモア・オリオールズの監督にスカウトされて入団。1年目の年俸は600ドルで当時の日本円に換算すると1200円。そこから2020年までの物価上昇率が3000倍になるため、現在で換算すると約360万円となる。
1年目にルースは開幕から3カ月間で14勝を挙げ、シーズン途中の7月からレッドソックスへと移籍。1918年に二刀流で13勝を挙げ、11本塁打を放ち本塁打王を獲得。年俸は1年目の10倍以上となる7000ドルとなった。
さらに1919年には29本塁打で2年連続本塁打王を獲得。5年間で年俸は1万ドルとなり、日本円で約2800万円(物価上昇率約1400倍)。高額となった年俸を払えなくなったレッドソックスはヤンキースへとトレードとなった。移籍金は9億円とも言われている。
移籍後もルースは躍動。1921年に59本塁打を放ち、チームをリーグ初優勝へと導いた。この年、ルースは年俸交渉で5万2000ドル(約1億5000万円)を要求。球団オーナーが困惑すると、ルースはコイントスで決めることを提案し、見事勝ち取った。
大金を手にしたルースは酒、女性、ギャンブルと豪遊の日々を送った影響で、一時成績は落としたものの、心を入れ替えてからは1927年に60本塁打をマークするなど、再び本塁打を量産した。
そして、“絶頂期の年収”は35歳で8万ドルの約2億8000万円。これは当時のフーヴァー大統領の年収7万ドルを超えていた。