【らんまん 田邊教授&万太郎“師弟”11年の愛憎劇】出会いの抱擁、出入り禁止、研究対決…要潤が存在感

2023年08月22日 08:15

芸能

【らんまん 田邊教授&万太郎“師弟”11年の愛憎劇】出会いの抱擁、出入り禁止、研究対決…要潤が存在感
連続テレビ小説「らんまん」。田邊教授(要潤)(C)NHK Photo By 提供写真
 俳優の神木隆之介(30)が主演を務めるNHK連続テレビ小説「らんまん」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は22日、第102話が放送され、俳優の要潤(42)が好演してきた田邊教授の遺言が明らかになった。激しい愛憎劇を繰り広げた“弟子”万太郎への思いに、涙の視聴者が続出。多面的に描かれ、最後は愛されたヒール役。インターネット上には“田邊教授ロス”が広がった。“師弟”の軌跡を振り返る。
 <※以下、ネタバレ有>

 朝ドラ通算108作目。「日本植物学の父」と称される牧野富太郎をモデルに、江戸末期から昭和の激動の時代を生き抜き、明るく草花と向き合い続けた主人公・槙野万太郎の人生を描く。脚本はNHK「流行感冒」「群青領域」「旅屋おかえり」なども手掛けた注目の劇作家・長田育恵氏。神木の朝ドラ出演は2007年度前期「どんど晴れ」以来16年ぶり2作目。初主演となる。男性主人公は20年度前期「エール」(窪田正孝)以来3年ぶり。

 <第33話(5月17日)>明治15年(1882年)夏頃。万太郎は東京大学植物学教室への出入り許可を懇願。万太郎が小学校中退だと知った助教授・徳永(田中哲司)と講師・大窪(今野浩喜)は猛反対したものの、万太郎は英語でやり返した。植物学に尽くしたいという万太郎の熱意に、田邊は「徳永くん、君は本当に旧幕時代の化石だね。さっさと留学しておいで」「権威をかざして門を閉ざすより、もっと重要なことがある。一刻も早く充実した研究の場をつくりだすこと」などと語り、万太郎と熱い握手と抱擁を交わした。

 <第52話(6月13日)>田邊は万太郎が植物学雑誌を作ることを許可したものの、徳永には「水準に達していれば認める。が、そうでなければ、学会の名をかたって出されては困るから、1冊残らず燃やさせる。むろん、金も出さない」。

 <第54話(6月15日)>万太郎は石版印刷を学び、植物学雑誌を完成。田邊は「私が雑誌を思いついたからこそ、こうして形になったわけだ」「学会誌にしようと言ったのは私だろ」「よかったじゃないか、槙野くん。私が雑誌作りを許したおかげで、こうして見事作ることができたじゃないか」。

 <第68話(7月5日)>田邊は万太郎と寿恵子(浜辺美波)を自宅に招き、結婚を祝福。万太郎と2人きりになると「私のものになりなさい」(専属のプラントハンターとして雇う)と提案したものの、断られた。田邊は「後悔するぞ。何の身分もない、何の保証もない、小学校も出とらん虫けらが何を言っても無駄だ!おまえは私にすがるしかない!」。万太郎は「わしが、やりますき!」。

 <第71話(7月10日)>田邊は動物学教授・美作(山本浩司)から「聞けば、あなたの今の奥方(聡子=中田青渚)は、つい5月までうち(美作が校長の御茶ノ水高等女学校)の生徒だったとか。どうです、我が女生徒を妻にした感想は」などと嫌み。大窪に「(トガクシソウが咲かなかったのは)だいたい、君の落ち度だろ!夏の採集旅行、日程も採集地も現地の案内人も、君の手配だっただろ。君は、自分の責任を自覚したまえ!口先だけのゲスな連中ばかりだ!」とイラ立ちをぶつけた。

 <第75話(7月14日)>万太郎と大窪は土佐の植物を研究。新種発見となり「ヤマトグサ」と命名した。ケンブリッジ大学に留学中の伊藤孝光(落合モトキ)がトガクシソウを新属「RANZANIA T.Ito」として発表。田邊の名を冠した学名発表は叶わなかった。

 <第78話(7月19日)>ヤマザクラの植物画が載った万太郎の「日本植物志図譜 第二集」が完成。田邊は「(石版印刷機を購入し、家の壁を壊すほど)私に頼るのが嫌だったか」「(伊藤孝光に先を越された)トガクシソウはさぞ愉快だったろう」「裏切るも何も、そもそもおまえは私のものにはならないんだろ。言っておくが、トガクシソウなど、どうでもよい。私は、そんなことでは傷つかない。残念だな、槙野万太郎。この先は望み通り、おまえをいち学者として認めてやろう」。

 <第83話(7月26日)>画工の野宮(亀田佳明)は田邊に「この教室には今、私と槙野さん、2人の植物画家が必要なんです」「植物画家としてもう一度、槙野さんに声を掛けてやっていただけませんか。あの人は裏表のない、無邪気で、無知な人なんです。私も教師をしていたので、分かります。そういう子ほど、かわいい。どうか教授の恩情で、あと一度だけ、槙野さんに声を掛けてやっていただけませんか。今度は植物画家として」。万太郎は寿恵子から生活費が心配だと告げられ、田邊の誘い「プラントハンター」が頭をよぎる。

 <第84話(7月27日)>田邊は万太郎が発見した植物がダーウィンも魅了した食虫植物だと教え「論文を書け。見つけた者が報告する、当然だろう。論文には、植物画を付けろ。この植物画はまだ見たことがない。日本の発見報告と植物画、これらが揃えば、世界中の植物学者が必ず注目するはずだ。やれるな」。徳永助教授は「教授がおまえに、世界への花道を架けてくださった。この感謝を、忘れるなよ」とドイツへ留学。

 <第85話(7月28日)>明治19年(1886年)1月頃。万太郎はムジナモの植物画と論文を完成。しかし、植物学雑誌に田邊の名前がなかった。田邊は「君は自分の手柄だけを誇っているんだな」「何を期待していたんだか。もういい!今後、我が東京大学植物学教室への、出入りを禁ずる」。

 <第86話(7月31日)>田邊の怒りは収まらない。「君は、土足で入ってきた泥棒だよ。大学の物を勝手に使い、自分の本まで刊行したんだから。他に言いようがないだろう」。「土佐植物目録」と標本500点を没収した。

 <第87話(8月1日)>月夜、万太郎は田邊邸を訪れたが、田邊は「許さないよ」。“万太郎潰し”の如く「大日本植物図解」の刊行を宣言した。洋酒を浴びるように飲むと、聡子に「これは祝杯だ」「私の魂は、自由になった」――。

 <第98話(8月16日)>暗殺事件により恩師・森有礼(橋本さとし)を亡くした田邊が校長を務める女学校が突然廃止。田邊は洋酒を浴びるように飲み、荒れた。

 <第99話(8月17日)>聡子に背中を押され、田邊は研究に本腰。学生たちと伊予・石鎚山へ植物採集旅行。新種かもしれない花と出会い、生き生きと研究。野宮も「初めて見ました。教授のあんな顔」と驚くほどだった。美作の兄が貴族院議員に勅撰、大学の次期総長と取り沙汰され、田邊は学内の争いに敗れた。

 <第100話(8月18日)>万太郎との偶然の“師弟対決”を制し、田邊は植物採集から持ち帰った植物を新種と認定。「キレンゲショウマ」と命名した。一歩及ばなかった万太郎も祝福。しかし、快挙から急転、突如として非職を命じる手紙。約5年ぶりにドイツ留学から帰国した徳永が田邊の後任教授に就任した。

 <第101話(8月21日)>明治26年(1893年)8月。大学を離れた田邊は聡子や子どもたちと穏やかな日々。「私が海が見たいんだ。おまえ(子ども)たちと」「聡子、きれいだ」「(着物が)よく似合っている」。蔵書を取り出し「聡子」と何かを言い掛けた。寿恵子が質屋で見つけた新聞記事に「田邊博士遊泳中に溺死」の見出し。万太郎は「え…」と絶句した。

 <第102話(8月22日)>田邊の訃報から数カ月後。聡子が十徳長屋を訪れ“遺言”を伝えた。聡子、槙野に会うことがあったら、私の蔵書は槙野に譲る。私の植物学は終わった。この先は、Mrマキノに…」――。

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