村重杏奈、涙の謝罪 アイドル限界感じ父に発した残酷すぎる言葉「その時はパパが全部原因だと思って」
2023年10月07日 17:10
芸能
13歳でHKT48に加入し、母や妹たちと山口の実家を離れて福岡で暮らすことに。一方で、父だけは山口に残り、毎日3時間の睡眠で複数の仕事を掛け持ち。自分を犠牲にして家族の生活を支え続けた。
そんな父とある時、衝突したという。それは、アイドル人生に行き詰まっていた18歳の時だった。限界を感じ、仕事へ行く気力も起きず、山口へ帰ってしまったが、父の反応は意外なものだったという。「“今さら山口に帰ってきたって、受け入れる場所はない”って言われて、福岡に帰らされました。めっちゃ厳しかったです。本当に嫌いでした。何で娘にこんなこと言えるんだと思いました。どんなに泣きわめいても“帰れ、帰れ”だったし、本当に血の通っていない親だなとすごい思いました」。衝突を繰り返す中で、村重は言ってはいけない一言を放ってしまったという。
「パパに向かって、“パパのDNAなんて1ミリもいらない”って、言っちゃったことがあった」。他のアイドルたちの両親は美男美女ぞろいだったこともあり、「自分にセンターに立てない理由があったし、人気がない理由もいっぱいあったけど、その時はパパが全部原因だと思って」と、父の思いに言葉の凶器で返してしまったという。MCの「サンドウィッチマン」伊達みきおも「これはショックだわ…」と思わずつぶやいた。
人生で父に一度も謝ったことがないという村重だったが、この機会にどうしても謝罪したかったという。「アイドルとしてうまく行かなくて、ストレスをパパにしかぶつけることができなくて、パパの遺伝子が邪魔するみたいなことを言っちゃって。それがすごくいまだに自分の中で引っかかってて、パパが応援してくれているからこそひどいこと言っちゃったなって、ずっとずっと後悔しています。ずっとアイドル活動を応援してくれていたパパに対して、失礼なことを言っちゃって、ごめんなさい」。涙ながらに思いを打ち明ける村重に、公亮さんも「パパの方もいろいろ言い過ぎたこともあるし、そうやって言ってくれたことはパパもうれしいです。ありがとう」と涙をぬぐった。
厳しさに耐えきれず連絡したある時、父が山口から車を飛ばして福岡に駆けつけてくれたことがあったという。村重は「パパって一番の味方なんだなって思った時、すごくうれしかった。これからもきっと、つらいこととかいっぱいあって、頼っちゃうことがあると思うけど、よろしくお願いします」とあらためてあいさつした。
HKT48卒業後、村重はバラエティータレントとして数々の番組に出演し、人気者になった。公亮さんは「家族みんなで夢を見とるような感じで、こちらこそありがとう」と感謝の言葉を返していた。