猿之助被告 初公判で復帰へ強い意欲「歌舞伎が自分の存在そのもの 歌舞伎で償いを」

2023年10月21日 05:10

芸能

猿之助被告 初公判で復帰へ強い意欲「歌舞伎が自分の存在そのもの 歌舞伎で償いを」
市川猿之助被告 Photo By スポニチ
 【市川猿之助被告初公判 】 両親に向精神薬を服用させ、自殺を手助けしたとして自殺ほう助の罪に問われた歌舞伎俳優市川猿之助(本名喜熨斗=きのし=孝彦)被告(47)の初公判が20日、東京地裁(安永健次裁判官)で開かれ、猿之助被告は起訴内容を認めた。被告人質問では親族間の問題などで悩んでいたことが明らかになり、事件に至った心境を「地獄の釜のふたが開いた」と表現。歌舞伎界に復帰したいとの意思も示した。
 猿之助被告は濃紺のスーツに青のネクタイ、白いシャツ姿で、一礼し入廷した。口元には白いマスク。髪の毛は7月の保釈の時よりも短く整えられていた。

 裁判長から職業を聞かれると「歌舞伎俳優です」と答えた。検察側からは「許されるのであれば、歌舞伎で償っていきたい」との供述調書が読み上げられ、被告人質問では「歌舞伎が自分の存在そのもの」と語った。最終意見陳述でも「僕にしかできないことがあればさせていただき、生きる希望としたい」と話した。公判前から猿之助被告が歌舞伎に関わり続けるのかどうかに注目が集まっていただけに、復帰への希望が語られるたびに、傍聴人は驚いた。

 起訴状によると、東京都目黒区の自宅で5月17日、自殺を手助けするために、父親で歌舞伎俳優の市川段四郎(本名喜熨斗弘之)さん=当時(76)=と、母喜熨斗延子さん=同(75)=に向精神薬を服用させて、同日から翌18日にかけて死亡させたとしている。両親への思いを聞かれると涙声になり「2人にとっては僕が生きがいだった」「不肖な息子で申し訳ない」と目を潤ませた。

 弁護側は、今回の事件に至る背景に2つの要因があったと説明。その一つが週刊誌でのハラスメント報道。もう一つが、かねて抱えていた「自分がいなくなった方が周囲は幸せになるのでは」という悩みだった。

 発端は、1999年ごろから生じた段四郎さんと伯父の猿翁さんとの確執。当時、猿之助被告と段四郎さんは、澤瀉(おもだか)屋の一員として、猿翁さんが主演・演出するスーパー歌舞伎に出演していた。スーパー歌舞伎は何カ月にもわたって上演されるため、猿之助被告は「古典作品をやりたい」と考えるようになり一座から離脱。しばらくしてから段四郎さんも続いた。結果的に猿翁さんは気分を害し、2人との間に不和が生じた。

 ちょうど段四郎さんは胃がんを患っており、猿翁さんとの確執もあって心身ともに不安定だった。猿之助被告は「(父は)階段から飛び降りようとしたり、壁に頭を打ち付けることがあった」と家庭内での様子を説明。「自分のために父が伯父と言い争っていた。自分のせいだ(と思った)」と明かした。

 延子さんも、そんな段四郎さんの世話で追い詰められていた。段四郎さんが飛び降りようとした時にも「ずるい。私も死にたい。あなた(被告)がいなければとっくに死んでいる」と語ることもあった。猿之助被告には「(舞台などを)手伝うことができなくて申し訳ない」と謝ることが多く、「母にそう思わせてしまうのも自分のせい」と考えるようになった。

 「市川猿之助」を襲名した12年ごろ、猿之助被告は「忙しくすることでいろいろな思いにふたをしてきた」という精神状態だった。そういう状態が続き、今回の週刊誌報道がきっかけで「地獄の釜のふたがバカンと開いた」と心境を語った。

 検察側は懲役3年を求刑し、弁護側は執行猶予付きの判決を求め即日結審。判決は11月17日に言い渡される。

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