山田太一さん死去「ふぞろいの林檎たち」出演者から追悼の声止まず 中井貴一、手塚理美、中島唱子…

2023年12月01日 18:46

芸能

山田太一さん死去「ふぞろいの林檎たち」出演者から追悼の声止まず 中井貴一、手塚理美、中島唱子…
90年、TBS「ふぞろいの林檎たちパートⅢ」制作発表でポーズをとる(前列左から)中島唱子、手塚理美、石原真理子、高橋ひとみ。(後列左から)柳沢慎吾、時任三郎、中井貴一、国広冨之 Photo By スポニチ
 脚本家の山田太一(やまだ・たいち、本名・石坂太一=いしざか・たいち)さんが11月29日、老衰のため死去した。89歳。東京都出身。
 1983年にスタートしたTBSドラマ「ふぞろいの林檎たち」は97年放送のパート4までシリーズ化。4流大学に通う3人の男子学生が不安、劣等感を抱えながら自身の生き方を見つめ、前に進んでいく群像劇で、中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾、手塚理美、石原真理子らの新鮮なキャスティングと主題歌だったサザンオールスターズの「いとしのエリー」が当時の視聴者の心をつかんだ。

 同作の出演者は1日、恩師への追悼のコメントを続々と発表した。

 中井はブログを更新し「まだ、役者として右も左も分からなかった頃、『ふぞろいの林檎たち』の面接でお会いしたのが、今から42年前。その頃、既に大巨匠脚本家だった山田太一さんでしたから、さぞかし怖い方なのだろうと、かなり緊張しておりましたが、実際は、物腰柔らかで、とてもジェントリーにお話をして下さいました。出演が決まり、初日の本読み、顔合わせの時も、物腰柔らか。しかし、本読み終了時、『私の台本は、語尾の一つまで考えて書いておりますので、一字一句変えない様に芝居をして下さい』と、ピシャリ。物腰とは裏腹に、実に辛辣にお話をされる方でも有りました」と思い出を振り返った。

 手塚は所属事務所を通じ「この度の山田太一さん訃報に際し、心を痛めておりまして、今はコメントを控えさせて頂けましたらと思います」とショックの大きさをうかがわせた。

 中島唱子は「父でもあり、人生の師でもあり、恩人のような存在でした」としのんだ。山田さんと初めて会ったのは40年前のオーディション会場。「初めて、人から自分を肯定してもらえた嬉しさと感動を今も鮮明に覚えていて忘れることができません」と振り返り、「コンプレックスと社会のプレッシャーで潰れそうな私を拾い上げてくださった命の恩人でもあります」と感謝。「ひとつの『ふぞろいの林檎』になれたことは私の誇りであり、宝物です」とした。

 「岸辺のアルバム」にも出演した国広富之は「人の心を思い、考え過ぎて悩んで空回りする心優しい人間、『岸辺のアルバム』の田島繁。そして、人の心がまったく考えられないサイコパスな秀才、『ふぞろいの林檎たち』の本田修一。もし、二人が先生の訃報を聞いたら…。繁『え!先生が…お葬式はいつだろ?先生のことだ。ご家族だけかな?偲ぶ会、誰が手配するのかな?』、修一『え!…お亡くなりになった…魂が解放されたか…』。私個人としては、またいつかお逢(あ)いしたい魂。天を仰いでおります」とコメントした。
【楽天】オススメアイテム