プロダンサー村内有紀の挑戦 安室奈美恵さんのバックダンサー7年務めダンスの本場・米国へ

2023年12月15日 17:00

芸能

プロダンサー村内有紀の挑戦 安室奈美恵さんのバックダンサー7年務めダンスの本場・米国へ
“Just A Girl “ Las Vegas Residency show でのグウェン・ステファニーとの一枚(提供写真) Photo By 提供写真
 世界の音楽シーンをけん引するアメリカで、夢に向かって踊り続ける日本人女性がいる。村内有紀(37)は2018年に引退した安室奈美恵さんのバックダンサーを長きに渡って務め、渡米後はグウェン・ステファニーやニッキー・ミナージュ、テイラー・スウィフトら名だたる世界的アーティストの信頼を勝ち取り共演を果たしてきた。その原点は、ダンスへの探求心と行動力に満ちていた。
 村内は文字通り、のべつ幕なしに表現者としての人生を歩んできた。姉の影響で6歳でクラシックバレエを始めると、中学では新体操選手として頭角を現し、埼玉県の強豪高校に進学。県の強化指定選手になり、全国高校総体や国民体育大会に出場した。一つの達成感を胸に大学で「なにか別のことがしたい」と考えた時、真っ先に浮かんだのが高校の文化祭で踊ったジャズダンスだったという。「その時に教わったダンスの先生がスーパースターみたいで憧れたのもあったし、ダンスって楽しいってその時に思えて」。創作ダンス部に半年間所属し、自宅近くのダンススクールに通ううちに米国発祥のストリートダンスに強く惹かれていった。「パッションも、ファッションも、音楽も格好良く見えて、私ももっと情熱的に踊りたいと思った」。

 幼少期から活躍するダンサーも多いこの業界で、20歳からの挑戦は決して早い方ではない。大学在学中はアルバイトをしながらスクールに通うお金を捻出し、練習に明け暮れた。卒業後は就職する予定だったが、指導を受けていた講師の勧めもありダンスの道に進むことを決意。何より「ダンスをしない生活が想像できない」ほど自身の中で生きがいになっていた。アルバイトを続けながら、ダンスチームを作って夜のクラブのイベントに出演し、時にはオーディションも受け、練習も欠かさなかった。「深夜にショーをして、始発で朝から夕方までアルバイトして、その後にダンスレッスンに行って寝れる日は寝る。また深夜のショーがあればショーに行く」という過酷な下積みの日々も、「好きなことだったからあんまり苦労という感じはしなかった」という。

 そんな村内が一番最初につかんだ本格的なプロとしての仕事が、安室奈美恵さんのバックダンサーだった。イベント参加時に才能を評価され、少人数制のオーディションに呼ばれた時は耳を疑った。「すごくびっくりしたんですよ。それまで私は" ダンスのお仕事"の経験がなかったし、ショーやスクールの発表会に出たりするだけの立場だったから」。他のプロダンサーに圧倒されながらも持てる力を出し切り、狭き門を突破した。実は、その会場には安室さん本人もいたという。「オーラを消すように座られていたので、私は気付いていませんでした。緊張していたし頑張らなきゃって。審査員の人が座っている端っこにいて、奈美恵さんだって気付いた時にはもう終わっていたんです」と笑って振り返る。

 合格後、生活は一変した。年間で多くの国内、時には海外でのツアーやメディア出演、撮影をこなしていた安室さんに同行する毎日。「本当にそのお仕事しかできないスケジュール。何から何まで初めてだったので最初は学ぶことばっかり。自分がこの現場にいることが不思議だった」。同時に、腕を磨かなければ振るい落とされる世界でもあった。「奈美恵さんの現場は本人が毎年ダンサーを選ぶ。会場の規模によって減らされたり。だから呼ばれなくなったら、それはメンバーに選ばれなかったことを意味します。けっこうシビア」。激しい競争環境に身を置き、安室さんのバックダンサーを2011年から7年間も務めた。

 村内の中で本場・米国への憧れが明確になったのは、大学時代のことだった。大学2年時の夏休みにダンススクールの講師に勧められ、ロサンゼルスに1カ月間単身でダンス留学した。初の海外ながら刺激と学びにあふれた日々に「凄く楽しくて、また来たい」との思いを強くしたという。大学卒業後も年に1回は自費で赴き、ダンス指導を受ける中で「アメリカで働くこと」を意識し始めた頃、転機が訪れる。16年の渡米時に友人から紹介された事務所のオーディションを「記念受験で」受けたところ、一発合格したのだ。ビザ取得の問題に加え、日本では安室さんとの仕事もあったが、米国の事務所から「1年間はあなたのことをホールドできる」との連絡を受け「これがタイミングなのかもしれない」と決断した。

 帰国後は安室さんのツアーをこなしながら現地の弁護士と連絡を取り合い、必要な書類を用意した。ちょうどツアーが終わる頃にビザ取得の目処が立ち、安室さんが引退を発表する前に一人、米国に渡った。言語の壁に苦戦しながら、住居探しから契約まで移住に必要な全ての手続きを自身でこなさなければならず「日本と勝手が違うので最初の1、2年は大変でした」と振り返る。それでも本場でダンスを仕事にするという充実感は何ものにも代え難かった。

 村内には今も心に残っている安室さんの姿がある。安室さんが公演中に体調が悪くなり、急きょ公演自体を中止した時のことだった。「3曲ほどパフォーマンスした後に、公演をストップして、お客さんに100パーセントの自分を見てもらいたいから今日は中止させてくださいって本人が説明されたことがあった」。中途半端なものは見せない。そのプロ意識が今も自身に生きている。世界的スターに認められ共演を果たし、なお成長を続ける村内にはまだ達成していないことがあるという。「唯一かなえていないのが、ワールドツアーをアーティストさんと回ること。そこに組み込めなかったのが悔しくて。また来年ビザを更新するので次の3年で絶対にかなえたい」。尽きることのない夢とダンスへの情熱がある以上、その歩みを止めることはない。

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