「泥棒」扱いされた少年が刑事を目指したワケ 県警で痛感した無力な自分…一蹴した「金言」糧に捜査一課へ

2023年12月29日 17:00

芸能

「泥棒」扱いされた少年が刑事を目指したワケ 県警で痛感した無力な自分…一蹴した「金言」糧に捜査一課へ
佐々木成三氏 Photo By スポニチ
 元埼玉県警捜査一課で、現在はテレビ各局の情報番組などでコメンテーターとして引っ張りだこの佐々木成三氏(47)。芸能人顔負けのイケメンの元刑事として、SNSの危険性を訴えたり、身を守る啓蒙活動など活躍の場を広げている。これまでどんな人生を歩んできたのか。第2回は「警察官になったワケと警察時代の思い出」。(取材・構成 松井 いつき)
 警察官を志したきっかけは、小学校4年生の時に遭遇した強烈な原体験にある。一関商工(現・一関学院)野球部OBだった父に連れられ、高校野球地方大会決勝を観戦した時のことだ。「無事に甲子園も決まって。スタンドに一人で残っていたら、ビジネスバッグが近くに置いてあったんです。誰かの忘れ物かと思って、名前の書いてあるものがないか中を探していたら、おじさんが来て、めちゃめちゃ怒られて。盗もうとしてると思われちゃったんですね」。

 なぜ怒られているのかわからない佐々木少年は震えた。「あまりの威圧感に何も言えなくて。うちの親父は大人の対応をしたんです。『お前の息子が俺のバッグから盗もうとしたんだ』って言われて、それは悪いことした、と。ただ、僕はめちゃめちゃ悔しくて泣いて。そんなつもりじゃなかったのに!って」。疑われたこと、一方的に泥棒と決めつけられたことがショックだった。「本当に悔しくて涙が止まらなくて…5歳離れた兄には、そのことを言ったんです。僕、泥棒なんかしてないって」とのちに兄に訴えた。

 兄は擁護してくれると同時に「『周りにそう言わなきゃ分かんないぞ』って。『そういうつもりじゃなかったっていうのをちゃんと説明しないと、お前、泥棒のまんまだったぞ』と言われて、救われたんです」。ただ、歳を重ね、大人になっていくと「怒った男性の気持ちもわかるようになった。そりゃ泥棒と思いこむよなと。あの原体験は『どんなことでも話を聞いてあげないとわからないことがある』ということを教わった。その経験から話を聞いてあげる刑事になりたいと思いました」。

 警官になった理由はほかにもあった。両親が離婚後、母が女手一つで兄弟3人を育ててくれた。「兄二人が大学生で、僕まで大学行くと、大学生3人。やっぱり経済的な負担もあるだろうなと」。兄の一人である佐々木正明氏はその後、新聞記者を経て、現在はウクライナ情勢などのコメンテーターを務める。

 「刑事もの」や2時間サスペンスドラマも大好きだった母。「お袋は僕が捜査一課の刑事を辞める年に亡くなったんです。僕が一課の刑事であることを凄い誇りに思ってくれていて」。佐々木氏が県警を退職する1カ月前にガンのため、天国へ旅立った。「当時、僕はまだ一課に在籍していたので、花輪が凄かったんですよ。警察本部長、捜査一課長…と、皆さんから供花をいただいて。その時はこれは喜ぶだろうなって」と振り返る。

 警察学校、交番勤務を経て刑事に。理想と現実のギャップを目の当たりにした。「ただ、それは勝手に自分が作った理想。簡単にヒーローになれるみたいなイメージですけれど、現実はもっと緻密で、もっと細かい。耐えなきゃいけない仕事もある」。それでも「若い時に受け入れられたんですよね」という。

 「自分は何もできない。司法制度があって、捜査要領があって、書類の書き方とか現場を積まないとできないことがある」。理想を掲げればキリがない。ならば、今できることを。「自分がどれくらい歯車になれるのかということをすごい考えていた」。組織の中で「駒」になることに徹した。

 事件が発生すれば捜査本部が発足する。「捜査本部は絶対結果を出さなきゃいけない。僕は取り調べもできないし、最初の頃は情報提供者から話を聞くことも難しい。何ができるかとなった時、雑用だと思ったんです」。

 コピーやごみ捨て、弁当の手配…雑用といってもやることは多岐にわたる。「例えば、コピーにしても、コピー機のことをまず勉強しました。どうやったら早く、上手に取れるか。10枚コピー取ってきてと言われら、コピーして渡すのは誰でもできるわけです。僕は、『10枚を何に使うんですか』とまず聞く。縮小したり、両面でコピーするかとか。あと、誰に渡すかっていうのを聞いとけば、じゃあ僕が渡しておきますって言える」。小さいことでも手を抜かなかった。

 弁当注文でも「捜査本部って100名くらいいて、それぞれタイムスケジュールも違う」とタイミングよく用意するために奔走。「ヒアリングして、早めに出る人がいれば早めに届けてくれるお弁当屋さんを探したり。100人のスケジュール確認して、おつりもちゃんと渡すっていう。Excelのソフト使って、自分なりに工夫していました」。

 なぜ雑用に全力投球できたのか。「高校時代にレストランのボーイさんをやっていて。お店が忙しい時、オーナーさんから『1回の仕事で3つゴールを決めてきてくれる?』って教わってたんです。お客さんのところに行ったら、別のお客さんの注文とってくるとか、お皿を片付けてくるとか、何か1つやって帰ってきたら効率的にまわる。それが今もすごく生きています」。

 人生、無駄な経験など一つもない。「刑事にもそれは生きた。強盗事件の裏付けをとりに行く、だけではなくて、証拠をつかむなら全体像をつかまなきゃいけない。別の人が別の事件の裏付けを持ってるとか、そしたら共通点が見つかるかもしれない。そういう面で見ると、若い時から広い視野で見るようにする癖はついていたのかもしれないですね」。

 捜査一課の刑事になって、当時出始めたスマートフォンの解析の必要性をいち早く訴えた。「もともと、iPhoneが発売された年に買ったんです。2004年でした。メールや映像のやり取りが簡単でできるようになった。画期的ですよね。そのあと2011年にLINEができた。今までチャットみたいなやり取りができることはなかったですから。さらにLINE通話もできる。今まで通話ジャーナルはキャリア電話の通話の解析をしていたんですが、これからはやり取りが全部アプリで始まるんじゃないかと」と時代の流れを感じとっていた。

 LINE履歴を調べれば一目瞭然。しかし、当時、解析機械を持っていたのはサイバー犯罪対策課。解析には3日かかる。簡単に3日も預けてもらえないのは明白だった。「一課に持った方がいいと訴えて。解析班をやるべきですって言われたら、お前やれって言われて」。

 解析機器を導入し、容疑者や関係者のスマホを1年で500台ほど解析。最初の事件でいきなり効果が出た。ある警察で万引きした女性を捕まえたが、女性が否認にしているという相談があった。否認を通す女性のスマホを解析したところ、事件後に検索サイトにアクセスし、万引きでも捕まらない方法を調べていたことがわかった。結果を突き付けると「すみませんでした」と、女性は一転罪を認めた。

 通信手段が増え、「闇バイト」も顕著になってきた。刑事時代から警鐘を鳴らしているが「若者が簡単にお金を稼げて、犯罪に手を染めるっていうのは問題。アプリで秘匿性の高いやりとりをできるようになってしまっている。刑事の時から『テレグラム』は厄介だなと思っていたら、犯罪に使われるようになった」。一定の時間を超えるとデータが消える特徴があり、サーバーはロシアにあるため、日本の捜査権では追跡ができない。「アウトプットしようと思ったのは、そういう実情を見ていたからというのもある。元刑事だから(内部事情を)暴露する!とか、そういうポジションではなくて、どうやって防犯につなげるかっていうのが僕はとても重要だなと思っていた」。警察を退職し、犯罪を生まない環境づくりに足を踏み出すきっかけとなった。

 佐々木氏は警察を退職する時、ある一冊のノートを手にしていた。その驚きの中身とは…(第3回に続く)

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