中村メイコさん急逝“元祖天才子役”“七色の声”2歳から芸歴86年超え「3時のあなた」紅白紅組司会も

2024年01月07日 20:40

芸能

中村メイコさん急逝“元祖天才子役”“七色の声”2歳から芸歴86年超え「3時のあなた」紅白紅組司会も
77年、紅白歌合戦の司会者発表をする(左から)紅組応援団長・中村メイコさん、紅組司会の佐良直美、白組司会の山川静夫、白組応援団長・三波伸介さん Photo By スポニチ
 女優の中村メイコ(なかむら・めいこ、本名神津五月=こうづ・さつき)さんが昨年12月31日に肺塞栓症(はいそくせんしょう)で死去した。89歳。東京都出身。ホリプロが7日に発表した。葬儀はすでに密葬で執り行われ、お別れの会は後日執り行う予定。
 天才子役として2歳から映画やドラマ、ラジオに出演、NHK紅白歌合戦では3年連続で紅組司会を務めるなど幅広く活躍した中村さん。夫は作曲家の神津善行氏で、長女は作家の神津カンナ氏(64)、次女は女優の神津はづき(61)で、その夫が俳優の杉本哲太(58)と芸能一家を築いた。

 芸歴86年を誇り、テレビ本放送の前から活躍した才女が静かに逝った。放送の歴史を知る生き字引の死は芸能界にとっても大きな損失だ。父は作家の中村正常氏で、母は「おチエさんの老青春を生きる」の著者のチエコさん。2歳8カ月だった1937年、父に抱かれた写真が婦人雑誌のグラビアに掲載され、これがP.C.L(現・東宝)のプロデューサーの目に止まって榎本健一主演の「江戸っ子健ちゃん」で映画デビューを飾った。

 芸名は本名の五月を英語「MAY」とシャレて「ナカムラ・メイコ」としたが、37年公開の「南風の丘」から中村メイコと改めた。「ロッパの駄々っ子父ちゃん」「エノケンのワンワン大将」「小島の春」(いずれも40年)と出演を重ねた。

 1940年に開催が予定されていた東京五輪に先立つ実験放送の頃からラジオに登場。5歳で出演したNHKラジオの連続放送劇「ほがらか日記」が人気を呼び、天才子役の名をほしいままにした。

 44年に奈良県に疎開し、終戦後の47年に複数の関西の女学校に合格するが、いずれもPTAが芸能活動に反対して入学に反対。このため、父の正常が自ら家庭教師となって英才教育を施した。49年に東京に戻り、NHKラジオ「ジロリンタン物語」や「お姉さんといっしょ」などに出演。複数の人間の声を自在に使い分ける“七色の声”が話題となり、電波の申し子として超売れっ子タレントとなった。55年にはビクターレコードから「田舎のバス」で歌手デビュー。ボニージャックスとともに関西の製菓会社のCMソングも歌い、江利チエミが歌った「新妻に捧げる歌」では作詞にも挑んだ。

 映画は成瀬巳喜男監督の東宝「くちづけ・第四話・女同士」(55年)や松竹「東京チャキチャキ娘」(56年)などに出演。東宝「御用聞き物語」(57年)は主演俳優として銀幕を彩った。

 黎明期から親しんだ放送では59年から10年続いたテレビ朝日のトーク番組「メイコのごめんあそばせ」やNHK「連想ゲーム」の紅組初代キャプテン、「お笑いオンステージ」、フジテレビ「3時のあなた」の司会など縦横無尽に活躍。NHK「紅白歌合戦」も59年から61年まで3年連続で紅組司会を務めた。

 中村メイコ(なかむら・めいこ、本名神津五月=こうづ・さつき)1934年(昭9)5月13日生まれ、東京都出身。作家の中村正常氏の長女として生まれる。2歳の時に映画「江戸っ子健ちゃん」でデビュー。角帽の子供“フクちゃん”を演じて人気に。元祖天才子役である。そ の後、数多くの作品に出演。1957年に作曲家・神津善行さんと結婚した。

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