2000年の高松宮記念 福永を一流に押し上げた1つの“屈辱”
2019年03月22日 05:30
競馬
「悔しくてゴーグルを外せませんでした」
涙があふれていたということだろう。しかし、それから何年か後には次のようにも語った。
「あの頃はまだ若くて、(キングヘイローの)坂口正大先生に“おめでとうございました”のひと言も言えませんでした」
そう言いながら見せた申し訳なさそうな表情に、彼のやさしさは勝負事の世界には向かないのでは?と思えたものだ。
しかし、彼のその後の活躍は皆さん、ご存じの通り。11年にはJRA賞最高勝率騎手賞、13年には同最多勝利騎手賞、最多賞金獲得騎手賞も受賞。国内外で金的を射止めることも枚挙にいとまがなく、翌週に迫ったドバイミーティングでは14年にジャスタウェイでドバイデューティフリー(現ターフ)を優勝、昨年はワグネリアンを駆って念願の日本ダービーも制覇。ついにダービージョッキーの称号を掌中に収めた。
ちなみに高松宮記念は04年にサニングデール、16年にはビッグアーサーで勝利。今週末の同レースではミスターメロディに騎乗するダービージョッキーのますますの活躍を応援したい。(フリーライター)