【小倉競輪 吉岡稔真カップ決勝戦】小川勇介が男泣き 念願“師匠の冠”ついに獲った

2024年07月07日 22:09

競輪

【小倉競輪 吉岡稔真カップ決勝戦】小川勇介が男泣き 念願“師匠の冠”ついに獲った
吉岡カップを手に師匠の吉岡稔真氏に祝福される小川勇介 Photo By スポニチ
 小倉競輪の「第18回吉岡稔真カップ争奪戦(F1)」決勝戦が行われ、町田太我マークの小川勇介(39=福岡)がタイヤ差で差し切り、同カップ初優勝を飾った。
 2着町田、3着は守沢太志で、3連単は1680円の1番人気だった。

 乾坤一擲(けんこんいってき)の番手差し。喉から手が出るほど欲しかったタイトルを小川がもぎ獲った。

 療養中にもかかわらず祝福に駆けつけた師匠・吉岡稔真氏の前で小川は感極まった。

 戦前の予想通り町田―小川―市橋が前受け。町田が突っ張るも皿屋が強引に巻き返す。いったん、2番手に収まった町田がさらに鐘4角からスパート。後方から捲る岡崎は不発。町田と小川によるゴール前のデッドヒートはタイヤ差で小川が制した。

 吉岡氏が主宰する練習グループ「不動会」の一員である小川。しかし、師匠の冠レースでは準優勝が3度あるものの、辛酸をなめ続けてきた。

 「悔しい思いばかりしてきたけど、ようやく獲れた。師匠の前で勝てて本当ににうれしい」。師匠の御前レースで悲願成就。敢闘門では吉岡氏とガッチリ握手をした。

 家族に連れて行ってもらった競輪場で衝撃を受け、選手になることを決意。吉岡稔真氏へ強い憧れを抱き、中学生にして吉岡氏に弟子入りを志願した。

 自転車経験もなかった小川は当然のように断られた。しかし、高校で自転車競技の実績を積み、高校卒業後、無事に弟子となることを許された。

 初志を貫徹した小川と、小川の奮闘に応えた師匠。そんな経緯もあっただけに、小川は師匠の横で涙を隠せなかった。

 吉岡氏も弟子たちに負けず、病と懸命に闘った。

 2月の全日本選抜前に軽い脳梗塞を発症。緊急入院を余儀なくされた。

 4カ月以上に及ぶ治療、ハードなリハビリ。食事制限もあり、体重は20キロも減った。ぶかぶかのジャケットが痛々しいが、その鋭い眼光は「F1先行」の頃のままだった。

 小川は「この先も精進を怠らず、仲間と汗を流し、不動会をもり立てていきたい」とさらなる活躍を誓った。弟子たちの奮闘が、完治を目指す吉岡氏の確かな力となる。

 ◇小川 勇介(おがわ・ゆうすけ)1984年(昭59)10月14日生まれ、福岡県出身の39歳。日本競輪選手養成所90期生の在所順位1位。05年7月久留米でプロデビュー。通算1569戦278勝。通算優勝25回。師匠は吉岡稔真(65期=引退)。1メートル74、75キロ。血液型A。

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