引退直前まで強かった…いまだ破られていない千代の富士の記録とは

2016年08月22日 11:15

相撲

引退直前まで強かった…いまだ破られていない千代の富士の記録とは
1990年1月、初場所で30回目の優勝を決め、Vサインの千代の富士
 昭和から平成にかけての相撲界を引っ張った大横綱・千代の富士。91年夏場所の引退から25年以上が経過し、当時1位だった通算勝利1045勝は魁皇(1047勝)に抜かれ、優勝31回も白鵬(37回)が突破し、大鵬(32回)に次ぐ3番目となった。そんな中、いまだに抜かれていない記録がある。30歳を過ぎてからの優勝19回だ。
 千代の富士は25歳だった81年初場所で初優勝。20代で12度の優勝を飾った。30代になるとペースは上がり、35歳で引退となった91年夏場所までの36場所で19度の優勝を成し遂げた。2場所に1回以上、賜杯を抱いていた計算になる。現役の白鵬は30歳以降の9場所で4度優勝しているが、それを上回る優勝率だ。31歳になる直前で引退した大鵬は、30代での優勝は1回にとどまっている。

 全盛時でも120キロしかなかった小さな体で、引退直前まで衰え知らずで土俵に上がり続けた。脱臼癖を治すためにトレーニングを続けて手にした鋼のような「体」、前まわしを引いてすぐに出る速攻などの「技」があったからこそ優勝回数が伸びていったのだが、千代の富士は「心」も凄かった。もともと負けん気の強さを前面に出して闘うタイプだったが、それは年を重ねるごとに強くなっていった。30代になってから連敗したのは、小錦、益荒男、大乃国、安芸乃島の4人だけ。ここ一番で抜群の集中力を発揮し、多くの力士を返り討ちにした。

 その負けん気の強さは、引退後も続いた。プロ野球・前巨人監督の原辰徳氏はこう振り返る。「ゴルフは私の方がやや上手だったが、私のことを上手とは言わず、強気な弁の中で小さなボールを追いかけていた」と。昭和30年会の仲間だったボクシングの元WBAライトフライ級王者・具志堅用高氏も「勝負師で負けず嫌いだった」と話している。どんな時でも、人前で弱さを見せることのない人だった。

 心技体の全てが強い人だから、病魔にも打ち勝ってくれると思っていた。61歳での死は、あまりにも早すぎる。(佐藤 博之)

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