追悼連載~「コービー激動の41年」その56 ジャクソンの最終面談とチーム解体
2020年04月12日 08:00
バスケット
![追悼連載~「コービー激動の41年」その56 ジャクソンの最終面談とチーム解体](/sports/news/2020/04/12/jpeg/20200411s00011061159000p_view.jpg)
返ってきた答えは「Yes, it does」。
「君たち2人はうまくプレーできると思うが…」と返すと「それは疑いもないことです。8年も一緒にやってきましたから。でも自分は彼のSidekick(相棒、もしくは助手の意味)でいることに疲れました」とブライアントはつぶやいた。
この「Sidekick」という言葉はジャクソンにとってはショックだった。常に2人は同列で平等の存在であると信じていただけに、その感じ方の違いに驚いてしまった。ブルズ時代からマイケル・ジョーダンらスーパースターと呼ばれる選手とはいつも良好な関係を築いてきたジャクソンだったが、唯一の例外がこのときのブライアントだったのである。
この後、ジャクソンはレイカーズのジェリー・バス・オーナーの自宅で予定されていた遅めの昼食に向かう。バス・オーナーは単刀直入に「フィル、我々は違った方向に進むつもりだ」と切り出した。「そう思っていましたよ。そのほうが論理的です」。言い方を変えれば「君はクビだ」「はいわかりました」という会話でもある。2人の蜜月関係はここで終止符を打った。5年前、同じ場所で「違った方向に導いてくれ」「わかりました」と交わした会話は180度違うものになった。
6月22日。姿をくらましていたオニールをジャクソンはようやくつかまえる。何度も鳴らした携帯がこの日の午後になってようやくつながったのだ。すぐにロサンゼルス市内のホテルに呼び出したジャクソンはアイスティーを飲みながら相手の様子をうかがった。レイカーズが彼をトレードしたがっているかどうかを本人が知りたがっているのは百も承知だった。
オニールは自分の心の内をここでさらけだす。「ピストンズに負けたのはチームがバラバラになったからではないですよ。故障者が多かったからです。でもいい時間を過ごさせてもらいました。あなたは背後からコービーを支えたし、あいつのために一生懸命に働いた。だからなぜそれをコービーが認めないのかを自分は理解できない。幸せなのに、それ以上のものを求めているようだった」。聞き手に回っていたジャクソンはこれがレイカーズでのオニールとの最後の面談になることを悟った。2人から本音を探り出したことはチャンピオン・リング以上の価値があった出来事だった。
同年7月14日。オニールはラマー・オーダムら3選手とドラフト指名権を加えたトレードでヒートに放出された。そのヒートには翌年、いったんセルティクスにトレードされたゲイリー・ペイトンも移籍してくる。ブライアントとドラフト同期生で、ともにバックコートを支えてきたデレク・フィッシャーはオニールがトレードされた翌日、FA選手としてウォリアーズと6年契約を締結し、歴代2位の得点記録(3万6928)を打ち立てていた41歳のカール・マローンは現役続行を模索したが、もう体が言うことをきかず引退を決意。レイカーズを去っていったのはジャクソン1人ではなかった。
ファイナルで3連覇を果たした黄金軍団の解体。だが「レイカーズ丸」はバス・オーナーが口にした「違った方向」へいったん向かいながら、また同じ港に戻ってくる。レイカーズは2008年のファイナルに再び駒を進め、2009年と2010年には連覇を達成して王座を奪回することになるのだが、ここに至るまでのプロセスもまた誰もが予想しないものだった。(敬称略・続く)
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。