追悼連載~「コービー激動の41年」その69 屈辱の逆転負け セルティクスに苦杯
2020年04月25日 08:00
バスケット
ポージーは1999年のドラフト同期生でもあるラマー・オーダム(ポージーは全体18番目、オーダムは同4番目指名)を後半に入って抑え込んだ。というよりオーダムの人の良さがこの試合では裏目になった。第1クオーターには放った6本のシュートをすべて成功させて1人で13得点。この日、レイカーズで最も勢いがあったのは彼だった。しかし悲しいかな、どんな状況であれ最後にはブライアントに「主役の座」を譲ってしまう。ある意味、その性格をポージーは読み切っていたのかしれない。「もうこいつはGo―to―Guy(勝負どころでシュートする選手)ではない」。そう判断したポージーは一転してセルティクスのオフェンスの最前線に加わったのだった。
ポージーはゼイビアー大(オハイオ州シンシナティ)時代には攻守両面のオールラウンダーとして活躍。通算得点はチームの歴代16位でリバウンドは10位(当時)だった。ゼイビアー大は当時、渡辺雄太(現グリズリーズ)の母校ジョージ・ワシントン大と同じアトランティック10に所属していたが(現在はビッグ・イースト所属)、ポージーはそのカンファレンス・トーナメント決勝で最優秀選手となっている。セルティクス在籍はこの1シーズンのみだが、リバース監督は彼の持ち味を理解していた。
さてそのポージーのシュートを境にして流れは変わる。第3クオーターの終了を告げるブザーが鳴ったとき、スコアは71―73となっていた。第2クオーターの5分15秒に最大24点差(21―45)だった試合が2点差。レイカーズはオーダムからブライアントへの“引継ぎ作業”がうまくいかなかった。
第4クオーターの残り4分7秒、ハウスがシュートを決めてついに84―83とリード。レイカーズはブライアントにボールを集めて抵抗したが、残り1分13秒、左ベースライン際でノーマークになっていたポージーが自信に満ちたような表情で3点シュートも沈めスコアは92―87となった。
第4戦でポージーは25分出場して18得点。このシーズンの平均得点は7・4だったので倍以上の仕事をしたことになる。平均7・5得点だったハウスも11得点。先発のライジョン・ロンドが第3戦で足首を痛め、第4戦で十分なプレーができなかったために出番が多くなったが、その穴をきっちりと埋めた。
試合は残り3・6秒、フリースローを2本決めたハウスが最後の得点者となる。24点のビハインドからの大逆転でセルティクスが97―91で勝利。レイカーズは2人の伏兵の前に勝利を逃して1勝3敗となった。そしてそれは同時にシリーズの敗北を意味していた。同じロサンゼルスでの第5戦は103―98で勝ったが、1勝3敗からのシリーズ逆転はNBAのプレーオフには存在しない。6月17日、ボストンでの第5戦は92―131で大敗して2勝4敗。ガソルの加入で流れが変わり、4年ぶりに戻ってきた大舞台でも覇権奪回はならなかった。そしてフィル・ジャクソン監督にとってはブルズ時代を含めてファイナル10回目にして初めて経験する大舞台での敗北だった。(敬称略・続く)
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。