所詮はイベント されどスポーツは尊い

2021年06月10日 16:34

五輪

 【君島圭介のスポーツと人間】東京五輪の開催について、千葉県の熊谷俊人知事が自身のフェイスブックに「所詮(しょせん)はスポーツイベント」と投稿し、新型コロナウイルスの感染予防の観点から無観客での開催も検討するよう促した。
 そしてその投稿に続いて、五輪期間中に千葉県内で予定していたパブリックビューイング(PV)の中止を表明した。

 行政のトップとして素晴らしい行動力だと思うし、熊谷知事の決断を支持する。人類の祭典といえど五輪もまたイベントである。ただ、熊谷知事が「所詮」と付けたのはイベントであって、スポーツそのものを卑下した発言ではない。そこは厳密に区分けしないと、アスリートを傷つけてしまう。

 このコラムのタイトル「スポーツと人間」は、ロジェ・カイヨワの名著「遊びと人間」からいただいた。遊びによって創造される超現実的世界こそがスポーツであり、吹奏楽やバンド演奏、絵画や演劇、百人一首まですべてこの「遊び」が起源であることは間違いない。

 スポーツイベントはこの「遊び」を経済活動に発展させたものであり、イベントの成功がアスリートの利益になるのもまた事実だ。ただ、イベント収入がすべてアスリートの生活を潤しているわけではない。そこに介在する関連団体や企業、政治家の利権が絡んでいることを知っているから、今でも日本国民の大半が東京五輪開催に「NO」を表明している。アスリートではない、誰か分からない人や団体の利益のためにウイルス感染の危険を冒すなど嫌だというのが本音だ。

 ただ、スポーツそのものは人類の文化活動として必要だし、同じように音楽、演劇なども歩みを止めることはないと思っている。

 アスリートなら今の状況下での無観客開催は甘んじて受け入れるだろう。14日間の隔離や大会期間中に外部との接触を禁止する「バブル」も厭(いと)わないはずだ。我慢すべきなのは感染拡大の危険を冒してまで、スポーツを利用したイベントで利益を得ようとする行為である。感染拡大の危険があるイベントを徹底的に排除し、純粋にアスリートが世界最高峰のパフォーマンスで競うことが「安全安心」な五輪開催ではないだろうか。(専門委員)

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