「パ・セ」復活の時代――37年前の檄文を思い返して
2018年12月29日 10:30
野球
試験の自己採点に落ち込みながら、書店に立ち寄った。表紙に近鉄監督だった西本幸雄さんの写真があり、手に取った。西本さんは桐蔭高(旧制和歌山中)野球部の大先輩である。教師にも信者はいて、化学の中年男性教諭は藤井寺か日生で近鉄のデーゲームがある土曜日は必ず休講にして応援に出かけていた。
「この人を見よ! 西本幸雄」の大特集だった。インタビューで、日本シリーズに8度も敗れながら、なお9度目に挑むという不屈、反骨の姿勢に感じ入った。入試本番に向けて前を向けた。
ページをめくると、例の檄文があった。パ・リーグへの愛をつづる文章は心に染み入った。とりわけ「セ・パ両リーグ」の呼称を「パ・セ両リーグ」と改めるという主張が心に残った。
<言語学的に「パ・セ」だけが成立し、「セ・パ」はありえないのである。破裂音Pが二音目以下にくるためには「つまる」こと即ち促音が必要だ。「ラッパ」「カッパ」である。「セッパつまる」とは言いえて妙である。「セ・パ」は「セッパ」としか表記しえない。この解決法は、破裂音を前に置いて「パ・セ」という以外にない。「パセリ」はあるが「セパリ」はないのである>。
その通り、と合点した。当時、自室書棚にあった『広辞苑』(第二版=1976年発行)を開くと「セパ――」で始まる言葉は「セパレーツ」「セパレートコース」の2語のみ。「セッパ」とつまれば「切羽」「折破」「説破」「切迫」「雪白」「節迫」「折半」「接伴」と8語あった。「パセ――」は「パセリ」1語だったが<キミは一度「パ・セ」と発音してごらん。その自然さゆえに、もう二度と「セ・パ」と口にすることはないであろう>の問いかけに笑い、納得したものだ。
時代は下って、スポニチ入社3年目、1987(昭和62)年11月15日、大阪・十三の中華料理店であった「純パの会」関西懇親会の取材に出向いた。当時、近鉄担当だった。純パの会は宮田さんの文章に共感した人々が集まり、82年4月に旗揚げされていた。
ゲストで訪れていた堀新助パ・リーグ会長が「竹内(寿平)コミッショナーに“セ・パ一辺倒はやめてくれ。この順序は隔年にすべき”と申し入れた」と明かし、場は盛り上がった。
だが、変化はなかった。呼称問題はいっこうに改まらない。どころか、交流戦が始まった2005年、NPBが定めた正式名称は「セ・パ交流戦」だった。もうダメか……と思っていた。
ところが、である。数年前、ある読者の方から寄贈を受けた大量の古い野球雑誌の中に「パ・セ」の表記を見つけた。1960(昭和35)年10月1日発行の月刊誌『ベースボール・マガジン』10月号である。表紙の絵は巨人・長嶋茂雄だが、特集を示す文言は<パ・セ両リーグ四十四選手の連続写真によるスタープレーヤーの妙技>とある。堂々と「パ・セ」とあるのに驚いた。
ちなみに、この雑誌発行直後に始まった日本シリーズではセ・リーグの大洋(現DeNA)が大毎(現ロッテ)を4勝無敗で下した。敗れた大毎監督は西本さんだった。
他にも自社のデータベースを見返すと、スポニチ本紙にも「パ・セ」が散見される。たとえば、1955(昭和30)年10月26日付の本紙(東京本社発行版)はヤンキース来日の日米野球第4戦(仙台)の模様を1面で伝えている。対戦した日本側は見出しにもスコアにも記事にも「パ・セ選抜軍」とあった。ただし、同日付の大阪本社発行版は「セ・パ選抜軍」とあり、表記が一定していない。
どうも「パ・セ」の呼称は昭和30年代は一部で使われていたようである。やはり1965(昭和40)年から73年までの巨人V9(9年連続日本一)で「セ・パ」主流に傾いていったのではないだろうか。
今や両リーグの観客動員数はさほど変わらない。そして交流戦や日本シリーズでは毎年のようにパ・リーグが圧倒している。あの昭和30年代から半世紀を経て「パ・セ」の時代はとうに訪れている。再び「パ・セ」と呼称、表記することはないだろうか。
宮田さんは、あの文の末尾に書いていた。<いつの日か、ぼくが人生から引退する時が訪れたなら、ぼくは必ずや高らかに叫ぶであろう。「パ・リーグは永久に不滅です」と>。その声が聞こえた気がした。
(編集委員)
◆内田 雅也(うちた・まさや) 小学生時代、沿線に住み、母親が本社医務室に勤務していたこともあり南海ファン。西本幸雄さんが監督となり高校時代は近鉄を応援していた。大学時代、キャンパスの立て看板に「慶早戦」とあり、応援団(応援指導部)員が「ケイソウセン」と叫んでいた。1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。
おすすめテーマ
2018年12月29日のニュース
特集
野球のランキング
-
【18年物故者追悼】スタンカさん 外国人選手初の100勝
-
【18年物故者追悼】ウィリー・マッコビーさん 通算521アーチ
-
【18年物故者追悼】星野仙一さん がん闘病明かさず“闘将”全う
-
【18年物故者追悼】「鉄人」衣笠祥雄さん 死去4日前に魂の解説
-
-
木田画伯 GM補佐としての4年間に感謝 コーチになっても連載は継続
-
【18年物故者追悼】穴吹義雄さん 入団時の争奪戦映画化
-
DeNA梶谷結婚 年下女性と今月婚姻届 すでに新婚生活
-
ロッテ岩下に新生姜!「岩下の新生姜」が球団とスポンサー契約
-
輝星、元日始動で20キロ雪中ラン 年内練習納め「100%に近い」
-
輝星、高校野球の球数制限に「強い高校は無理する必要ない」
-
輝星、年末年始は「食べ過ぎないように気をつけたい」
-
女房役・菊地亮 輝星“最後”の投球に「日本一の投手になって」
-
日本ハム栗山監督 中田の4番白紙強調「危機感を持って」
-
西武・秋山 カンボジアで野球教室「とても刺激になった」
-
西武・山川、多和田らと沖縄盛り上げる「那覇市民栄誉賞」授与式
-
巨人ドラ1高橋 19年は「勝」にこだわる「今以上に意識」
-
巨人・大竹、新トレーニングで瞬発力向上「投げる感じ良くなった」
-
巨人・山口オーナー 仕事納めで訓示「2つの競争勝つ」
-
阪神マルテ誕生 掛布氏「31」継承「神様が導いてくれた」
-
阪神・藤原オーナー19年の漢字は「拓」 選手へ「自分の手で道を切り開け」
-
阪神ドラ1近本、地元・淡路で激励会「夢や希望を与えられたら」
-
阪神・才木、正月太り大歓迎 課題の体重アップへ「餅を多めに食べようかな」
-
DeNA・ラミ監督 中井はスーパーサブ起用へ「非常に使い勝手良い」
-
ソフトB千賀、育成出身現役トップ1・6億円 今年もメジャー挑戦直訴
-
ソフトB武田は500万円減 先発復帰へ無休「ポジション勝ち取る」
-
ヤクルト山田、18年は納得の「再」起 3度目トリプルスリー達成
-
広島・高橋昂&坂倉 来季目標は同期バッテリー「思い入れある」
-
中日・山井 数え42歳大厄も自然体「意識し過ぎるのもダメ」
-
雄星「覚えておくべき10選手」に選出「移籍市場でトップクラスの投手」
-
大谷は「印象的なデビュー飾った10選手」選出「打撃で際立った数字」
-
ヤクルトJr4強 宮本ヘッド長男・恭佑が1回無失点