それはグラブじゃなく、鳥越コーチの「手」なのだ

2019年06月27日 16:40

野球

それはグラブじゃなく、鳥越コーチの「手」なのだ
好守を披露するダイエーの鳥越(2003年撮影) Photo By スポニチ
 【君島圭介のスポーツと人間】何だろう、この違和感。それが最初の印象だった。
 交流戦終了直後の26日午後。ロッテはZOZOマリンスタジアムで全体練習を行っていた。ベンチで選手がアップする様子を眺めていたとき、ふとその存在に気づいた。

 グラブなのだ。確かに。ベンチの手すりに無造作に乗っているだけなのだが、何というか生き物のような存在感があった。異様な迫力だ。覗き込むとグラブには「鳥越」と刺繍してあった。ヘッドコーチのものだった。

 鳥越コーチが現役時代に福岡ダイエーホークスの球団担当をしていたが、名手として名高い遊撃手のグラブを間近で観察した記憶はない。これはチャンスと、じっくり眺めた。

 選手のグラブやバットにむやみやたらと触れないのが、記者としての不文律だ。でも見るのはタダである。

 違和感の原因はすぐに分かった。指の部分が1本ごとに離れている。とくに中指の先は両隣と2センチ以上は離れ、独立して動かせるようになっている。全体的な形状はじゃんけんの「パー」の状態からバスケットボールのような大きなボールを掴んだままのように見える。

 これが名手の道具か。感心していると、鳥越コーチがグラブを取りに来た。印象を伝えようと「このグラブは…」と切り出すと、こう言われた。

 「グラブじゃないんです。これは、手」

 手だから指が自由に動かせないといけないのか。

 「だから、これは手なんで。暑いとか、寒いとか、雨の日でも違う。指の間が広い日も狭い日も固い日も柔らかい日もある。だって、これは手だから」

 その「手」は現役時代のものより5ミリ小さいという。

 「僕はグラブが手になって多少うまくなった。守備をほめられるとしたら、それは手のおかげなんです」

 そうなのか。最初の違和感の原因がはっきり分かった。持ち主が指を入れなくても、グラブだけが動き出しそうな躍動感があった。それもそのはず。そこにあったのは、鳥越コーチの「手」そのものだったのだ。

 その手が大観衆の前で圧倒的な捕球をすることも華麗な併殺にかかわることも、もうない。ただ、観客のいないグラウンドで、若い選手たちの前だけで、運がよければ好奇心旺盛な記者の前だけで、血の通う姿を見せてくれる。(専門委員)

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