退任表明の明大・善波監督は選手ファースト 時に厳しい愛のムチも

2019年11月01日 12:01

野球

退任表明の明大・善波監督は選手ファースト 時に厳しい愛のムチも
会見を終え花束を手にほほえむ善波監督(撮影・白鳥 佳樹) Photo By スポニチ
 明大・善波達也監督(57)が10月30日、立大4回戦終了後に退任を明らかにした。3期12年に及ぶ監督生活でリーグ優勝9回、全日本大学選手権1回、神宮大会2回とチームを3度の日本一に導き、日米大学野球など侍JAPAN大学日本代表の監督も務めた。
 現役時代、島岡吉郎監督から“人間力野球”を叩き込まれたから神宮球場のプレー以外にも目を配る。練習態度、私生活の乱れには厳しかった。2年前、リーグ戦当日の朝、食堂の分別ゴミにラベルを剥がさずペットボトルが捨てられていた。これを見つけた善波監督は試合出発間際という時間に全員を集合させ「こういうことが野球に表れるんだ」と厳しく話した。

 寮内のルールを破ればグラウンドには入れない。延々と寮周辺の草むしりと掃除。反省文が稚拙だと草むしりは終わらない。戦力として必要な選手でも関係ない。1カ月以上も草むしりを続けた選手は12年間で何人もいた。練習中の態度も同じ。春の開幕カード、DeNAからドラフト3位指名を受けた伊勢大夢(九州学院)ですら練習に真剣さが見えないとベンチから外された。

 これも善波流の愛のムチ。島岡監督時代なら私生活、グラウンドでミスをしたなら寮を追放され、2度とユニホームを着られない選手が多くいた。今は辛抱強く選手のやる気を待つ。時には厳しく、時には食事をしながら監督の思いを伝える。そんな中で監督と選手の絆が形成されていく。

 広島からドラフト1位で指名された森下暢仁(大分商)には、こんなことがあった。2年時に日米大学野球の日本代表として活躍。秋季リーグ戦での活躍が期待されたが関節唇という右肩の炎症を起こした。開幕の早大2回戦に先発して3失点KO。それ以来ベンチから外した。第5週、優勝を左右する慶大戦、医師からは「投げられる状態」との報告を受けていたがベンチには入れなかった。結果、2戦とも1点差で敗れ優勝を逃した。森下がいれば優勝の可能性もあった。しかし本人に不安がある以上、善波監督は森下の将来を重視した。

 森下は一例だが、10年連続で直接プロにドラフトされた選手たちすべて、善波監督の思いを受けて巣立っていった。春のプロ野球キャンプでは短期間に明大出身の所属するチームを回り首脳陣に頭を下げる。選手の特徴などをしっかり伝え、活躍を祈る。これを毎年。なかなかできない。

 野球を続けない4年生は1度はベンチに入れ、時にはボールボーイとしてユニホームを着せる。冗談半分で「コイツは野球では役に立たないが社会に出たら役に立つ」と変な激励で送り出す。リーグ戦にそういうOB、OGたちが観戦に訪れるとうれしそうに笑顔を見せる。

 これからは側面から明大野球部を支える予定。自営業だから社業にも精を出す。「やりきった感はあります」と12年間を振り返った。

 ここ最近、体形が豆タンクのような島岡御大に似てきたと言われる。おなかがちょっと出てきたからだ。退任会見で監督時代、苦労させられた選手を聞かれしばらく考えたあと「う~ん、島内(楽天)かなあ。コイツをどうやって練習させようかと苦労したかな。野村(広島)や山崎福(オリックス)はチームのためによく投げてくれた選手」と話した。最後は担当記者から花束を贈られ笑顔で退席した善波監督。つい「ユニホームを脱いだらダイエットはするんですか?」と聞くのを忘れてしまった。(落合 紳哉)

 ◆善波 達也(よしなみ・たつや)1962年(昭37)8月11日生まれの57歳。神奈川・桐蔭学園では3年夏の決勝で愛甲猛投手の横浜に敗れ準優勝。明大に進み捕手、主将として活躍。同期には広沢克実(スポニチ本紙評論家)竹田光訓(元横浜)。東京ガスに入社し都市対抗野球でも活躍。04~07年、明大コーチ、08年から12年監督を務めた。野村祐輔(広島)高山俊(阪神)柳裕也(中日)ら多くの選手をプロ野球に送り出した。

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