【内田雅也の猛虎監督列伝(21)~第21代 中西太】「ベンチがアホ」にも弁解せず 六甲おろしで別れ

2020年05月11日 08:00

野球

【内田雅也の猛虎監督列伝(21)~第21代 中西太】「ベンチがアホ」にも弁解せず 六甲おろしで別れ
1981年10月15日、退団会見の席で感極まり、涙を流す中西太監督 Photo By スポニチ
 1980(昭和55)年シーズン中の5月15日、ドン・ブレイザー退団と同時に新監督に就いたのはヘッドコーチの中西太だった。58年、カージナルスの一員として来日し日米野球で戦った当時から友人同士。引退後「一緒に野球をやろう」と誓い合い、78年、ブレイザーが招いていた。
 「ブレイザー野球の継承」で臨んだが<優勝した広島に20・5ゲーム差の5位では、ブレイザーの遺産がまったくなくなってしまった>=玉置通夫『これがタイガース』(三省堂書店)=。

 中西はシーズン終盤の10月12日、中日戦(ナゴヤ球場)終了後、名古屋市中区のレストランで「今季限りで退団する」と突然、辞意を表明した。前日11日夜、球団社長・小津正次郎が兵庫・川西市の上田利治(スポニチ本紙評論家)の自宅に電話し監督就任を要請。後に阪急監督に復帰する上田は辞退したが、情報が中西に伝わっていた。さらに3年前、招へいに失敗した前ヤクルト監督の広岡達朗(評論家)にも食指を動かしていた。

 「来季も中西監督」と公言していた小津は「和戦両様は経営者の常」と話したが、本紙・大西禧充は<指導者への愛情がない。これが阪神の伝統だ>と指摘している。

 4日後の16日、中西と同郷・香川県出身のオーナー(本社社長)・田中隆造が小津に「今季の不振の責任は球団にある。助けてほしい」と伝言を託し、全面支援を約束。中西は辞意を撤回した。

 留任時、中西は交換条件とも言える形で球団に要望したのが江本孟紀のトレードだった。批判精神や正義感に富み、歯に衣(きぬ)着せぬ江本の言動は生真面目な中西の心証を害していた。江本のトレードは連日のように紙面をにぎわせたが成立にはいたらなかった。

 迎えた81年、4月に8連敗を喫するなどチームはバラバラだった。夏の長期ロード明けの8月26日、ヤクルト戦(甲子園)で事件は起きた。

 8回表、1点を返され4―2となって1死二、三塁。すでに143球を投げ、限界にきていた。ベンチを見るが動かない。後に江本が語ったのは中西は「ピンチになるとベンチ裏に引っ込んでしまう」。この時もそうだった。三振で2死。さらに続投で水谷新太郎に様子を見たボール球を右前2点打され同点。投手交代となった。

 江本はベンチにグラブを投げつけた。ロッカーへの通路で記者の「156球。よく投げた」の問いかけに「ベンチがアホやから、野球がでけへんわ!」と捨てゼリフを吐いた。グラブを壁にたたきつけ「アホや、アホ、アホ」と連呼した。

 実際どうだったかについては諸説ある。江本自身が翌82年に出したベストセラー『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(KKベストセラーズ)には<残念ながら、これはぼくの発言じゃない>と否定している。

 ただ、翌27日、球団から事情聴取された際、江本は暴言を認め「ああ言った以上、責任を取る覚悟はできている」と退団する意向を示した。球団から10日間の謹慎を言い渡されると「ここで辞めさせてください」と現役を引退してしまった。

 中西は91年に出した著書『人を活かす 人を育てる』(学習研究社)で<いくらマスコミが私の反論を期待しても、黙して語らずで押し通した>と記している。弁解や言い訳をしないのが<私の生き方>だった。<盛りをすぎた江本は、私の背中を踏み台にしてジャンプしなければならなかったのだと解釈している>。引退後、マスコミや政界での活躍をみていた。

 「9月初めに私の気持ちを伝えた」進退には口を閉ざしていた中西は9月29日、最後の遠征(名古屋)に向かう新幹線車中で本紙の単独取材に答えた。「球団は来季への準備をしているはずだ」

 広岡との交渉は「5年契約」の要求に応えられず、再び失敗していた。中西は不整脈、痛風、口腔内の腫瘍に悩まされ、巨体100キロ超の体重は10キロも減っていた。

 最終成績は3位に食い込み、5年ぶりのAクラスを確保した。藤田平の首位打者は打撃人の中西への慰めになったろう。

 全日程終了後の10月14日、大阪・梅田の阪神電鉄本社でオーナー・田中に辞意を伝えた。ホテル阪神での退団会見では、隣に座る田中が「断腸の思いだ。中西君にこれ以上苦労させるのは許されない。一言の弁解もなく任務を全うしてくれた」と語ると、中西は壇上で涙をこぼした。

 「大したことない監督に選手たちはよくついてきてくれた」。自身は「つくる」コーチで「決断する」監督ではないと自覚していた。そして、西鉄時代の監督で義父でもある三原脩の言葉を引用し「人生は他動的。自分より周囲の情勢に身を委ねることもある」

 会見後、ホテル内での納会にも顔を出し、小林繁と「六甲おろし」を歌い、別れを告げた。=敬称略=(編集委員) 

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