ホンモノになった日――日本スーパーライト級タイトルマッチ
2017年12月26日 10:15
格闘技
36歳の細川バレンタイン(角海老宝石)は12月14日、後楽園ホールで、悲願の日本タイトルを獲得した。3度目の日本王座挑戦は9年前の東日本新人王決勝で引き分けて以来、「ボクサーの中で一番仲がいい。どちらかが王者になったら試合しよう、と言っていた」麻生との対戦。懐へ入ろうとする相手を突き放し、固いガードを上からでも叩いてポイントを稼ぐなど、親友に強みを出させない戦い方が光った。
10ラウンドが終わると殴り合っていた相手と仲良く並んでロープにもたれ、判定を待った。採点は全て1点差の3―0。「ボクシングは我慢のスポーツ。あいつはそれを一番体現しているボクサー」。憧れの存在でもあった麻生からベルトを奪い、「飲みの場ではいつも僕が勝っているので、リングでも負けたくなかった」とおどけた。
細川は昨年11月、当時の日本スーパーライト級王者・岡田博喜(角海老宝石)に挑戦して判定負けし、所属する宮田ジムからの移籍を決めた。まずは仲が良い大橋秀行会長の大橋ジムへ移ろうと考えたが、勤務先の外資系金融会社から横浜のジムへ通うのは難しいと断念。次に頭に浮かんだ三迫ジムは麻生がいるとあって遠慮し、角海老宝石ジムを選んだ。
担当に決まったのは29歳の奥村健太トレーナー。2010年に西部日本フライ級新人王になり、昨秋に本田フィットネスジムから移ってきた選手だったが、今年1月の試合で敗れた後に急性硬膜下血腫のため開頭手術を受け、引退してトレーナーに転向したばかりだった。
「僕は志半ばでボクシングができなくなった。バレンさんがタイトルマッチへ連れていってください」
やる気に満ちあふれた7歳年下のパートナーを得たことが細川には正解だった。毎朝4時45分に起こしに来るため、サボることもあったロードワークを欠かさなくなった。ジムワークでも熱心に相手を務め、麻生の映像をひたすら見て対策を授けてくれた。試合のインターバルにはコーナーで「後悔しないようにやるんだろ!」と激励された。「角海老に来て初めてプロとして練習した。本当のプロボクサーになったと感じている」。
仕事への影響を考慮して無理な減量をせず、岡田戦の頃は「会社もボクシングも100パーセントでやってるつもり。人生で本気になったこと何回ありますか?」と両立を誇っていた男には、さらに本気になる余地も、伸びしろもまだあった。「彼のおかげ。ありがたいです」。横でほほえむ奥村トレーナーに感謝すると、「ボクシングは体でやるスポーツだけど、心が体を超える時間があると思う。それを体現できた」。営業の現場でも飲み屋でもウケそうなセリフが、ナチュラルに口から飛び出した。
◆中出 健太郎(なかで・けんたろう)来年2月で51歳。スポニチ入社後はラグビー、サッカー、ボクシング、陸上、スキー、NBA、海外サッカーなどを担当。後楽園ホールのリングサイドの記者席で、飛んでくる血や水をかぶりっぱなしの状態をコラムの題名とした。“被弾”するのは顔や服だけではない。ノートにはあちこちに血痕が残り、記者パソコンのキーボードにも染みがつく。パソコンを開くたびに画面をきれいに拭いて使う後輩記者がうらやましい。