アウェーの小さいリング生かした伊藤、完璧だった日本人37年ぶり快挙
2018年08月08日 11:00
格闘技
従来の伊藤は「待ちのボクシング」の印象が強かった。相手が出てくるとスッと下がり、タイミング良くカウンターを打ち込む。ディフェンスの意識が高く、ボクシングもきれいなのだが、慎重すぎる姿勢が物足りなく思えた。ところが、初の世界戦では自ら距離を詰めて先に手を出し、前に出たら強いクリストファー・ディアス(プエルトリコ)を後退させた。ワンツーで終わらずに3、4、5発とパンチをまとめ、4回にはダウンも奪って大差の3―0判定勝ち。日本人が米国で世界王座を獲得するのは、1981年11月にWBAスーパーウエルター級王者となった三原正以来37年ぶりだった。
「スパーリングではできても、試合になるとできなかった」(伊藤)接近戦を命じたのは、ルディ・エルナンデス・トレーナー。帝拳の契約選手だった元WBA、WBC世界スーパーフェザー級王者ヘナロ・エルナンデスの兄で、畑山隆則ら日本人を数多く指導したほか、試合中の止血を担当するカットマンとしても知られる。15年から年3度のロサンゼルス合宿で強化を図ってきた伊藤も師事し、今回は3カ月前から「ディアスは接近戦ができない」「右フックを打つときはガードが前にある。その裏を狙えば確実に当たる」と対策を仕込まれたという。
プエルトリコ系住民が多いフロリダは伊藤にとってアウェー。「リスペクトされないと厳しい、1ラウンド目からおどかせ、と言われて行ったら相手がオッという顔をした」。リングの狭さも実感し、頭の片隅にあったアウトボクシングの可能性を消して接近戦の決意を固めた。ポイントをリードした中盤には、エディ・トレーナーから「競ってるぞ。ここをどこだと思ってる。手を出せ」とハッパをかけられた。前進をやめない伊藤の前に、ディアスは小さな戦場で逃げ場を失った。
伊藤は小6からバスケットボールを始め、スポーツ推薦で高校に入学した。大舞台で突然のモデルチェンジが可能だったのは、高い身体能力があってこそだ。リング、戦略、作戦、伊藤のポテンシャルと強い意思が絶妙に絡み合ってのベストパフォーマンス。判定が読み上げられている間にディアスが新王者を称える拍手を始めたほど、完璧な戴冠だった。(専門委員・中出 健太郎)