K―ness.&横須賀ススム 団体を代表するタッグとして悔いなし!横須賀が相棒引退に思ったこととは…

2022年03月23日 07:00

格闘技

K―ness.&横須賀ススム 団体を代表するタッグとして悔いなし!横須賀が相棒引退に思ったこととは…
団体を代表するタッグチーム“クネスカ“。K―ness.(左)と横須賀ススム(右) Photo By スポニチ
 【KIZUNA FINAL(上) 】 DRAGONGATEを代表するタッグチーム“クネスカ”のK―ness.(47)と横須賀ススム(44)がスポニチアネックスのインタビューに応じた。タッグでの今までの思い出や来月7日に迫ったK―ness.の引退試合について語った。2回にわたり連載する。
 横須賀はK―ness.の引退を聞いた時に「ついに来てしまった」というのが正直な感情だった。「実際、自分は近いところにいる存在だったんで普段から色々とそういう話を聞いてました。僕がどのユニットに居てもK―ness.とのタッグは普通にいつでも出来るみたいな感覚があった中でK―ness.が選手としてしんどそうだなというのは何回もありました。その中で今までは励ましながら頑張ってくれてました。今回に関してはK―ness.がまだ誰にも言ってない時に言ってくれたと思うんですけど、本人も固い意思で決めてたので、そこを僕が無理やり引き止めるわけにもいかないです」とK―ness.の意思を尊重した。

 さらに「引退の話を聞いて最後まで本人がやりたいように、最後までゴールできるようにサポートするのが僕の役割かなと思いました」。さらに「特に引退を意識してメッセージを送ったことはないですけど、僕も色んな人とタッグを組んできた中でK―ness.は一番特別な選手です。K―ness.が最後シングルマッチで戦うのは絶対に厳しいと思います。そうなるとK―ness.がどのようにやりたいかわからなくても自分の中で最後K―ness.の横に立つのは自分しかいないんじゃないかなと思ってました。ファンの人もそう思ってくれるかもしれないです」と最後は“クネスカ”として引退を見届ける思いが強くあった。

 2人が仲良くなったきっかけはメキシコ修行時代だった。K―ness.はメキシコでの横須賀との思い出を明かした。とある日、K―ness.が生活する部屋に大きなゴキブリが突如に出現。虫が苦手なK―ness.は二段ベッドの上からゴキブリに向かって物を投げて攻撃していた。そこに横須賀が部屋に入ってきて「何やってるの?」と聞かれたため状況を説明。すると横須賀はゴキブリをすぐに撃退した。この出来事がK―ness.は凄く印象に残っていると話した。メキシコで一緒に生活する中で仲良くなった2人。横須賀は闘龍門JAPANで初上陸した際のK―ness.の最初の印象について語った。「プロレスラーになれなかったんですけど、僕はみちのくプロレスに入門したことがあって、そこで一度挫折してるんですけど僕が辞めた後にK―ness.がみちのくプロレスに入団してプロレスラーデビューしてました。なので、僕もK―ness.のことを元々見てたこともあって、うちに参戦してきた時には自然と親近感を感じてメキシコで意気投合しました」。

 現在では団体を代表するタッグチームとなった“クネスカ”。しかし最初は対戦カードとして組まれたからタッグを組むだけで、タッグ屋としてやっていくとは2人とも思ってなかった。その中で横須賀は「タッグとして最初から違和感がなく、連携も多くできるようになった」と話し、K―ness.も「自然と組む回数が多かった2人が正式にタッグチームになったって感じですね」と気づいたら団体の中で注目されるタッグチームになった。

 その後、“クネスカ”は2010年5月にオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ(現オープン・ザ・ツインゲート)を初戴冠。その後2015年には団体のタッグリーグ「Summer Adventure Tag League」で優勝するなど実績も築き上げてやり残したこともないという2人。K―ness.は「タッグチームとしての目標は達成できたので、やり残したことはないですね」と話し、横須賀も「ある程度ひと通りの結果も出してますし、神戸ワールド記念ホールなどの大舞台でもチャンピオンベルトを巻いて入場して、そのベルトをちゃんと守って帰ったこともあります。タッグとしてそのひと場面的な部分でちゃんと絵に残ることは作れてきた」と語った。

 強いて言うなら“クネスカ”として海外で試合をしてみたかったというK―ness.。横須賀も「その辺はK―ness.のコンディション的な部分もあったと思いますし、僕らが全盛で活動してた時にあまり海外へのルートが無くて、僕が単体で動いてる時に僕が海外に行く機会はあったんですけどなかなか一緒に行く機会はなかったですからね」と回顧した。(続く)

 ◇K―ness.(くねす)1974年4月16日生まれ、本名は齋藤誠。東京都出身の47歳。1995年にみちのくプロレスに入門。1996年に斎藤誠の名前でプロレスラーデビュー。同年にレッスル夢ファクトリーに移籍してMAKOTOというリングネームで1999年まで在籍。その後、フリーで闘龍門JAPANに参戦。2000年には謎のマスクマン、ダークネス・ドラゴンとしてドラゴン・キッドと2年間抗争した末に2002年のマスカラ・コントラ・マスカラ戦で敗れてマスクを脱いで素顔を公開した。その後はマスクも一新してリングネームもK―ness.として登場。2003年には吉野正人(当時YOSSINO)とともに団体の中軽量級ベルトのオープン・ザ・ブレイブゲート王座を創設。2010年1月にオープン・ザ・ブレイブゲートを初戴冠。2013年には団体の至宝であるオープン・ザ・ドリームゲートに初挑戦。2021年の12月末に引退発表。今年4月7日に現役を引退する。

 ◇横須賀ススム(よこすか・すすむ)1978年2月18日生まれ、本名は望月享。神奈川県出身の44歳。1998年に闘龍門3期生としてメキシコに渡り、1998年に本名でプロレスラーデビュー。2002年に望月成晃との「モチヅキ・コントラ・モチヅキ」に敗れて、自身の出身地にちなんで横須賀享になった。2006年にオープン・ザ・ドリームゲートを初戴冠。2016年には自身2度目となるオープン・ザ・ドリームゲートを10年ぶりに戴冠。2019年には中軽量級ベルトのオープン・ザ・ブレイブゲートを初戴冠。同時に史上6人目となる団体の四大タイトル全制覇となった。2020年には全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王者に輝いた。

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