渡哲也さん、裕次郎さんのもとへ 「静かに送って」家族葬に軍団の姿なし

2020年08月15日 05:30

芸能

渡哲也さん、裕次郎さんのもとへ 「静かに送って」家族葬に軍団の姿なし
渡哲也さん Photo By スポニチ
 「無頼」シリーズなどの日活アクション映画や「大都会」「西部警察」などテレビ史に残るドラマに主演した俳優の渡哲也(わたり・てつや、本名渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)さんが10日、肺炎のため都内の病院で死去したことが14日、石原プロモーションから発表された。78歳。兵庫県出身。14日に家族葬を行った。喪主は妻俊子(としこ)さん。石原プロの来年1月での解散発表から1カ月足らず。男らしさの象徴だった渡さんの訃報に列島に衝撃が走った。
 石原裕次郎さん亡き後、大黒柱として石原軍団を率いた渡さんが逝った。石原プロによると、9日午前4時に都内の病院に救急搬送され、緊急入院。医師に「長くて2週間」と余命を告げられたが、翌10日午後6時半ごろ、俊子夫人がみとる中で静かに息を引き取った。

 14日に営まれた家族葬に参列したのは家族のほか、石原プロの幹部数人だけ。渡さんを慕っていた舘ひろし(70)ら軍団の俳優の姿はなかった。石原プロは「静かに送ってほしいという故人の強い希望だった」とした。故人の遺志により、お別れ会も営まない。知人は「何事にも慎ましさ、謙虚さを求めた渡さんらしい最期だった」と語った。

 渡さんの法名は「萬修院泰然自道居士(まんしゅういんたいぜんじどうこじ)」。20年前の2000年2月29日、出身地の兵庫県淡路市の高雄山観音寺で授かったものという。

 来年1月に石原プロを解散することを発表し、大きな役目を終えての永眠。宝酒造の清酒「松竹梅」の第1弾CMから50年となる節目に裕次郎さんとの“共演”CMが放送される中での悲報となった。石原プロ解散後の自身について周囲に「俳優をもう少しやってみようと思う」と前向きに語り、15年に患った心筋梗塞のリハビリを行っていたさなかだった。

 青山学院大在学中に芸能界入りし、65年に日活映画「あばれ騎士道」でデビュー。70年代からはテレビ出演が増え、刑事ドラマ「大都会」「西部警察」シリーズで人気を集めた。両シリーズでは頼れる男の姿を見せたが、プライベートでは病気と闘った人生だった。1991年に直腸がんを発症して克服。オストメイト(人工肛門使用者)であることを公表し、同じ病気で悩む人を勇気づけた。体調を見ながら仕事を続けたが、15年6月に今度は急性心筋梗塞と肺気腫で緊急入院。手術を受け、約1カ月で退院。同11月に「松竹梅」のCM撮影で仕事復帰。その後、呼吸疾患の影響で再び体調を崩し、仕事をセーブしながら自宅療養を続けていた。

 17年3月には弟で俳優の渡瀬恒彦さんが多臓器不全で72歳で死去。知人は「弟さんが亡くなってからガックリと肩を落とすことが増えた」と言い、近年は体調を心配する声が上がっていた。

 圧倒的な存在感を放つ昭和のスターがまた一人いなくなった。

 ◆渡 哲也(わたり・てつや、本名渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)1941年(昭16)12月28日生まれ、兵庫県出身。青学大経済学部卒。64年日活入社、65年に映画「あばれ騎士道」で宍戸錠さんとのダブル主演でデビュー。71年石原プロ入り。深作欣二監督の映画「仁義の墓場」「やくざの墓場 くちなしの花」に主演し、その後は「大都会」「西部警察」シリーズなどテレビドラマで活躍。歌手としても「くちなしの花」がヒットし、NHK紅白歌合戦に2回出場した。私生活では71年に俊子夫人と結婚。一人息子がいる。

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