渡哲也さん、裕次郎さんのもとへ 「静かに送って」家族葬に軍団の姿なし
2020年08月15日 05:30
芸能
14日に営まれた家族葬に参列したのは家族のほか、石原プロの幹部数人だけ。渡さんを慕っていた舘ひろし(70)ら軍団の俳優の姿はなかった。石原プロは「静かに送ってほしいという故人の強い希望だった」とした。故人の遺志により、お別れ会も営まない。知人は「何事にも慎ましさ、謙虚さを求めた渡さんらしい最期だった」と語った。
渡さんの法名は「萬修院泰然自道居士(まんしゅういんたいぜんじどうこじ)」。20年前の2000年2月29日、出身地の兵庫県淡路市の高雄山観音寺で授かったものという。
来年1月に石原プロを解散することを発表し、大きな役目を終えての永眠。宝酒造の清酒「松竹梅」の第1弾CMから50年となる節目に裕次郎さんとの“共演”CMが放送される中での悲報となった。石原プロ解散後の自身について周囲に「俳優をもう少しやってみようと思う」と前向きに語り、15年に患った心筋梗塞のリハビリを行っていたさなかだった。
青山学院大在学中に芸能界入りし、65年に日活映画「あばれ騎士道」でデビュー。70年代からはテレビ出演が増え、刑事ドラマ「大都会」「西部警察」シリーズで人気を集めた。両シリーズでは頼れる男の姿を見せたが、プライベートでは病気と闘った人生だった。1991年に直腸がんを発症して克服。オストメイト(人工肛門使用者)であることを公表し、同じ病気で悩む人を勇気づけた。体調を見ながら仕事を続けたが、15年6月に今度は急性心筋梗塞と肺気腫で緊急入院。手術を受け、約1カ月で退院。同11月に「松竹梅」のCM撮影で仕事復帰。その後、呼吸疾患の影響で再び体調を崩し、仕事をセーブしながら自宅療養を続けていた。
17年3月には弟で俳優の渡瀬恒彦さんが多臓器不全で72歳で死去。知人は「弟さんが亡くなってからガックリと肩を落とすことが増えた」と言い、近年は体調を心配する声が上がっていた。
圧倒的な存在感を放つ昭和のスターがまた一人いなくなった。
◆渡 哲也(わたり・てつや、本名渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)1941年(昭16)12月28日生まれ、兵庫県出身。青学大経済学部卒。64年日活入社、65年に映画「あばれ騎士道」で宍戸錠さんとのダブル主演でデビュー。71年石原プロ入り。深作欣二監督の映画「仁義の墓場」「やくざの墓場 くちなしの花」に主演し、その後は「大都会」「西部警察」シリーズなどテレビドラマで活躍。歌手としても「くちなしの花」がヒットし、NHK紅白歌合戦に2回出場した。私生活では71年に俊子夫人と結婚。一人息子がいる。