タモリ 小松政夫さんを直筆文で追悼…2人の遊びから生まれた伝説のコント「寿司将棋」「製材所」

2020年12月13日 05:30

芸能

タモリ 小松政夫さんを直筆文で追悼…2人の遊びから生まれた伝説のコント「寿司将棋」「製材所」
タレントのタモリ Photo By スポニチ
 コメディアンで俳優の小松政夫さんが78歳で他界した訃報から一夜明けた12日、45年間にわたり親交があったタモリ(75)がスポニチ本紙に追悼文を寄稿した。
 突然の悲報が飛び込んできたのは、タモリが司会を務めるテレビ朝日の音楽番組「ミュージックステーション」の生放送があった11日。その仕事を終えてから、都内の自宅で筆を執った。

 「小松さんには、私がこの世界に入った直後から同じ博多出身ということもあって親しくしていただきました」

 出会ったのは、タモリがまだ無名の1976年。当時の東京12チャンネル「空飛ぶモンティ・パイソン」でデビューした頃。小松さんは放送作家の高平哲郎さんから「(漫画家の)赤塚不二夫さんのところに同じ博多出身の面白いヤツが居候している」と紹介され、新宿のバーで対面。同郷というだけでなく、さまざまな職業を経験していることも共通し、その非凡な洞察力に驚きながらも同じにおいを感じた小松さんは一発で気に入り、一緒に遊ぶようになった。

 「その中で色々なネタを二人で作りました。ネタといっても子供の頃、博多の町中で見たり聞いたりしたものをアレンジした程度で二人で遊んでいたというのが事実でした」。そして、その中から「寿司将棋や製材所といったテレビでもやれるものもできてきました」と回想した。

 いずれも今や伝説のコント。寿司将棋は、将棋の「玉」が玉子焼きで「歩」がカッパ巻き。相手のネタを取ったら食べるもワサビにもん絶するといった内容で、黙々と指し続ける2人と「2六トロ」の読み上げがシュールな傑作。

 製材所は、電動の丸のこで材木を切る2人の作業員を演じ、くぎの刺さった廃材やベニヤ板など種類によって変化する作業音を息ぴったりで放つ。永六輔さんら有名人を切ってしまう最後のオチまで“作業音”で表現。生前、小松さんは「タモリがいると湧き出る泉のごとくアイデアが生まれた」と回想している。

 「今しみじみとその頃の楽しかった日々を思い出しています」。小松さんの笑い声とともによみがえる思い出の数々が、徐々に筆先を太くしていた。

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